ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ヘイル、シーザー!』(2016) ジョエル&イーサン・コーエン:製作・脚本・監督

 何本か、コーエン兄弟の観ていなかった作品を連続して鑑賞したけれども、それもこれでおしまい。むかし観て記憶から消えてしまっている作品もけっこうあるから、まだ観ることもあるかもしれないけれども。

 この作品、思いっきり1950年代のハリウッドの映画製作現場を扱ったコメディで、全篇の各所にそんな1950年代映画へのオマージュが込められている。「歴史モノ大作」、「西部劇」、ダンスを見せる「ミュージカル」、そしてエスター・ウィリアムズの『水着の女王』だとか。そんな撮影風景をとらえながらも、その背後の「時代背景」を描きながら「映画製作秘話」みたいなところこそが主題なのかな?

 主人公のエディ(ジョシュ・ブローリン)は、映画製作にまつわるトラブル、俳優たちのスキャンダルを丸く収める役を請け負う存在で、じっさいにそういう役割を担う人物、部署があったのかは知らないけれども、とにかくは多忙なのである。タバコをやめたくってもなかなかやめられない。
 メインの話は、『ヘイル、シーザー!』という大作の主役であるベアード・ウィットロック(ジョージ・クルーニー)というスターが、撮影スタジオから何者かに誘拐され、身代金10万ドルを要求されるという「事件」なのだが、ついでにいろんな当時の映画製作のトラブルが戯画化されている。
 冒頭から、その『ヘイル、シーザー!』という映画(どうも、チャールトン・ヘストンの主演していた『ベン・ハー』を想起させられる映画みたいだ)でのキリストの描き方をめぐって、エディがさまざまな宗教人を招いて「映画の内容に問題はないか」のディスカッションを繰り広げる。ここでの喧々諤々のディスカッションも笑っちゃうのだが、どこか先日観た『シリアスマン』を思い出させられる。

 実はさいしょっから「コメディ」モード全開で、いつものコーエン兄弟の「屈折したおかしさ」があまり読み取れず、「どうなのよ」とは思って観ていたのだが、中盤、そのベアード・ウィットロックを誘拐した連中は映画脚本家連中で、実はソ連と共謀した「共産主義者」なのだとなったあたりで、ああ、「これは<ハリウッド・テン>がじっさいに<反米・共産主義者>なのだった」ということでつくられた「大パロディ映画」なのだとわかると、俄然面白くなってしまった。
 そう、この映画、「あの頃のハリウッドはこ~んなだったかもしれない!」という、「歴史読み替え」映画なのだろう。

 これで面白いのは、この映画からはみ出しての、日本でのこの映画の一般観客の「評価・感想」なのだけれども、チラッと読んだところで、「そうか、この映画は<赤狩り>時代の<ハリウッド・テン>のことを描いた映画なのか!」というところまではいいのだけれども、どうもこの映画で描かれたように<ハリウッド・テン>はじっさいに<共産主義者>たちだったのだという理解になってしまっている。これではまるでこのコーエン兄弟の『ファーゴ』が現実の物語で、「映画の中で雪に埋められた大金は、今でもファーゴの雪原に埋もれているのだ」という、『トレジャーハンター・クミコ』みたいなことになってしまう(ま、それでこそ、「さすがに日本人!」ということにはなるのだろうけれども)。

 そういうことは置いておいても、この映画はコーエン兄弟の屈折した「ハリウッド賛歌」ではあるだろう。「そこまでやらなくっても」というような、かつてのハリウッド映画の「見せ場」、例えば『水着の女王』のほとんどシンクロナイズド・スイミングの再現、ミュージカル映画の見事なダンス、さすがに「そんな映画はないだろう」というような、アクロバット的な「西部劇」(こういうの、コーエン兄弟はちょびっと『トゥルー・グリット』でやってみせてはいるけれども)など、1950年代映画の「楽しさ」を見せてくれている。

 この映画ではコーエン兄弟は「ハリウッド映画」の歴史の「虚」を見せてくれた感じだけれども、やはりいつものコーエン兄弟の「フェイク」というものをもっと堪能させてほしかった、という気もちはある(日本での一般の評価も低いようだ)。