ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993) ヴィム・ヴェンダース:監督

 「ベルリンの壁」崩壊後に撮られた、『ベルリン・天使の詩』の続編。前作から6年、ダミエル(ブルーノ・ガンツ)はマリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)と結婚して娘も生まれていて、「天使の家」というピザハウスを開店している。残されていたカシエル(オットー・ザンダー)が今回、人間になるのだが‥‥。
 「天使」の視点(つまりモノクロ)で描かれる前半は『ベルリン・天使の詩』と同様に「人々の心の声」が聞かれるのだが、今回は脚本にペーター・ハントケが加わっていないせいか、「詩的感慨」は少し薄いように思った(撮影もアンリ・アルカンではなくなっていたし)。そう、それでも、今回はダミエルの代わりというか、カシエルのパートナーにラファエラ(ナスターシャ・キンスキー)という女性の天使が登場している。

 前作でダミエルが「人間」になりたいと思ったのは、マリオンという存在ゆえだったと言えるけれども、カシエルにはそこまでの「契機」はない。ただ前作でも自分の前で自殺した人を見て絶望したように、「人の命を(暴力から)救いたい」という気もちはずっとあったようだ。それで、高層マンションのベランダから誤って落下したライサという女性をとっさに助けようとしたとき、フッと人間となって彼女の下に立ち、彼女を受け止めるのだった(このライサ、映画ではのちも重要な役回りである)。
 人間にはなったけれどもすぐには「これ」という目的もないカシエルを狙ったのが、堕天使のエミット・フレスティ(ウィレム・デフォー)。エミットは天使の姿も見えるが、人間として人からも姿を見られるという存在。彼はカシエルの「鎧」をだまし取るし、酒の味も覚えさせる。カシエルはルー・リードのライヴに出かけて彼の歌を聴き、「なぜ自分は(彼の歌のように)善良な人間になれないのか」と悩む。
 カシエルは暴力を忌み嫌い、「人間を暴力から守りたい」という意識はあるようで、美術館でナチスの「退廃芸術展」に出品された作品を観て「ナチス」の所業を思い出し、卒倒してしまう。また、チンピラが隠し置いた拳銃を取り上げ、「これがわたしの最初の仕事だな」などという。

 しかしカシエルは「武器の密売」「ポルノの販売」を行うベイカー(ホルスト・ブッフホルツ)という男に拾われ、危うく彼の命を救ったことから彼の「片腕」になるよう誘われる。
 ベイカーはカシエルを地下の倉庫に連れて行き、彼の「商品」を見せるのだが、それはダビングされたポルノ・ヴィデオであり、ナチス時代から隠されてきた「武器弾薬」なのであった。
 「なんということだ。わたしはこんな世界に首を突っ込んでいたのか。このようなことは止めなければならない!」と決意したカシエルは、ダミエルやこのときまたベルリンに来ていたピーター・フォークらの助けをあおぎ、地下倉庫に侵入。ポルノヴィデオは焼却し、武器弾薬は倉庫から出して「はしけ船」に積み込むのだった。
 ところがその「はしけ船」がベイカーの敵組織に乗っ取られてしまい、ダミエルやベイカーらは人質にされてしまう。エミットは「解決するのは君の役目だ」とカシエルに伝えるが、それはカシエルの「死」を意味していた。

 以上が「メイン」のストーリーだろうか、とも思えるけれども、これ以外に映画を膨らませるさまざまなディテールが盛り込まれているし、そんなディテールにも映画を考えるうえで「重要」と思えるものがあることは言うまでもない。
 その背後には「ナチス」の時代からのドイツの歴史、「ベルリンの壁崩壊」以降のベルリンのありようなどが影を落としているようだし、そういうサブの人物もいろいろ登場している。
 例えば戦中にナチス要人の運転手をしていたコンラートという老人の話。彼はある人物がアメリカへ飛行機で亡命しようとしたとき、「彼について行かない」というその妻を飛行機に乗せるのを拒否して逃亡した。その妻の娘が、カシエルが助けたライサではあったし、亡命した男と一緒にアメリカへ行った息子が、つまりはベイカーなのであったりとか。ベイカーという男、いかにも東ベルリンとかで暗躍していたであろうような人物だったが。
 自分の過去を回想して考え込むコンラートに寄り添っていたラファエラは、「あなたは見出された人」と彼に語りかけ、その声はしっかりとコンラートに伝わっていたりする。

 それから、誰からの指令なのかわからないが、その亡命した男の妻の、現在の身辺調査をしているヴィンター(リュディガー・フォーグラー)という探偵がいたのだが、何だか人物調査をしているこの男、その考えていることもちょっと常人とレベルが違うようなところもあり、天使たちと同じように思えてしまった。そしてこのヴィンター、なんとエミットに射殺されてしまうのだ。「エミットって、人間を殺す力を持っているのか?」と驚いてしまった。「堕天使」たる由縁か。
 しかしこのエミットという存在、どうやら「時間」をつかさどる力を持っているらしく、奇妙な懐中時計を持っているし、ラストには(何をやったのかわかんなかったけれども)時間に小細工をしていたようだった。

 とにかく終盤の展開はちょっと「ご都合主義」というか、そんなにラストに向けて何もかも一気に収束していいものかとは思うし、まず、カシエルの大きな目的だった「武器弾薬」の処理がいったいどうなってしまったのか、まったくもって不明なのである。このことがわたしにはいちばん引っかかる。

 ラストにラファエラがカシエルをいだいて、「人間は目から入って心を照らす光を忘れ、目から出て外を照らす心の光のことも忘れた」と語った。
 『ベルリン・天使の詩』とは異なった角度から眺められた、「もうひとつの<天使>のファンタジー」であることは間違いないのだが、ちょっと一本の映画作品として、あたふたし過ぎていた印象ではあった。