ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『シンドラーのリスト』(1993) ヤヌス・カミンスキー:撮影 スティーヴン・スピルバーグ:監督

 これはもう、30年も前の映画なのだなあ。ちょっと感慨。当時わたしは映画館で観ていると思うけれども、「ホロコーストに送られるところだったユダヤの人たちを救った男の話」以上の記憶は残っていなかったし、なぜか『シンドラーのリスト』は映画としてねつ造の多い作品だという、勝手な思い込みも持っていた。

 今回何十年ぶりかにこの映画を観て調べてもみたのだけれども、そこまでに「事実」から乖離した、映画としての「ねつ造演出」はなかった映画だということもわかった。それは、スピルバーグ監督自身が「ユダヤ人」だというところからの、映画へ向き合う態度の「誠実さ」でもあったのだろう。
 そのことは、この映画の中でいかにもステレオタイプに「ナチス全体の<非人間性>」を語る場面がなかったことにも象徴的だろうか。ただ、ここにナチスのSS将校のアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)という人物がいて、この人物がただ一人でナチスの残虐性を体現していて、彼のことをリアルに描くことが「ナチスの<非人間性><残虐性>」を観客に理解させるパワーがあったことだろう。

 ストーリーは「シンドラーリーアム・ニーソン)という男もじっさいに労働力が欲しかった」ということを示しながら、ユダヤ人会計士のイザック・シュターン(ベン・キングズレー)をさいしょに雇うことから、だんだんとシンドラー自身がユダヤ人の雇用に積極的になって行き、それが「収容所送り」になるユダヤ人を救うようになって行く過程がよくわかる。

 映画の冒頭のあたりはちょびっと演出も混乱しているというか「イマイチ」の印象もあったけれども、そのあとは安定して納得させられる演出だったと思う。
 基本はモノクロ映画で、多くの血も流れる内容の残虐さからしても、カラーにしなかったことは理解できる。今でも若い観客には「モノクロ映画」の評判というのは悪いものがあるようだけれども、この作品にはそういう「モノクロ嫌悪」を克服させる力があるようにも思う。映画の中のワンポイントに色の付いている「赤い服の女の子」も、シンドラーも街中のこの子に注目していたことを観客により強く理解させ、その後の悲しい結果までつなげることだったと思う。

 この映画の撮影が、これ以降スピルバーグ映画の撮影をずっと引き受けることになるヤヌス・カミンスキースピルバーグと組んださいしょの作品になるけれども、ポーランド出身のユダヤ人であるヤヌス・カミンスキーにとっても、この作品の内容には強く気もちを通わせていたことだろう。