ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-05(Fri)

 出勤で家の外に出て歩くと、行く道の先の空に月が見える。おそらく、わたしが仕事に出るときにこの位置に月が見えるというのは、今宵かぎり今夜かぎりのことだろうと思う。「いい光景だ」と思い写真を撮ったが、「夜景」モードで撮ってしまうと町の光景はじっさいよりもずっと明るくなってしまう。実際には、わたしはもっともっと暗い道を歩いているのだ。

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 毎週、金曜日は待ち遠しい。わたしの仕事は午前中で終わるから、金曜日の午後から日曜日までは「2日半の休暇」になる。いつも月曜日から木曜日まで、「あと〇日で金曜日だ!」と思いながら仕事している。
 特に金曜日の仕事のあとは「いろいろと遊びに行けるよね」というのが、「入院」~「COVID-19禍」前の日常だった。そういう「金曜日のお出かけ」をやらなくなって久しいのだけれども、今日はほんとうは仕事のあと両国に出て、『古代エジプト展』を観たいという気もちはあったのだ。しかし今日も、やはりニェネントくんを長い時間「お留守番」させるのも抵抗があったし、昨日観た『パターソン』を「もういちど観たい」という気もちもあった。それと、仕事の帰りに本屋で「文藝春秋」を買い、先日読んだ乗代雄介の『旅する練習』への疑念、疑問をもうちょっと突き詰めて考えたいとの気もちも強く、『古代エジプト展』はまだ3月いっぱいは開催されていることだし、今日は行くのはやめようということにした。

 仕事を終えて、帰り道に乗換駅でちょっと改札を出て、改札口のそばの書店で「文藝春秋」を買い、あとはまっすぐに帰宅する。自宅駅からの帰り道、いつもの「野良ネコ通り」のところのアパートの外に、いろいろな家電製品が出されていた。そんな中に、おそらくは先日わたしが買ったのと同じ電子レンジが置かれていた。「アレって、まだ壊れてないんじゃないかな?」とか思うのだが、そのとなりには冷蔵庫とか洗濯機とか、普通に考えられる家電製品一式が出されているのだった。「いったいどうしたことだろう?」とか考えてしまう。思ったのは、そこのアパートに一人暮らしでもされていた人が急逝して、使っていた家電製品が「ゴミ」として出されていたのではないかということ。

 買って帰った「文藝春秋」をパラパラと読み、「ふむ、そういうことか」と思ったり、納得したりする(掲載の芥川賞受賞作品『推し、燃ゆ』はそのうちに読む)。

 昨日観た『パターソン』があまりにわたしにフィットし、面白く観たもので、今日もけっきょくもう一度観てしまった。まだまだ、観たい作品で明日中に観ないと「GYAO!」の配信が終わってしまうが2本ほどあるので、明日は一所懸命観なくってはいけないだろう。

 ニェネントが、出しっぱなしにしていた電子レンジの梱包に使われていた四角い段ボールのあいだに入り込んでいる。ネコは「四角いもの」があると、どうしてもその上を占領したいという「性(さが)」を持っているから、これはもうどうしようもないのだ。気に入っているのなら段ボールはしばらく出しておいてあげよう。

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 今日は、スカ首相が正式に<緊急事態宣言>の2週間の延長を発表した。スカ首相は「2週間は感染拡大を抑え込むと同時に、状況をさらに慎重に見極めるために必要な期間」と語ったという。何を言ってるのかわからない。今になって「状況をさらに慎重に見極める」とはどういうことなのか。見極めてどうするつもりなのか。今まではただ無為無策なだけだったスカ首相、今回もただ「見極める」というだけで、それを政策に結びつけられるとは思えない。
 「当初お約束した、3月7日までに宣言解除することができなかったことは大変申し訳ない思いであり、心よりお詫びを申し上げる」とも言ったというが、な~んにもやらなかった人間が詫びてもしょうがない。今回だって「さらなる国民の協力をお願いしたい」と言うわけで、ぜ~んぶやるのは国民の側で、首相はただ「見極める」だけだというのだから、そんなのは「何もやらないこと」を事前に予告しているようなものだろう。いや、ひょっとしたらこれ以降1都3県のPCR検査数を少しずつ減らす指令を出し、数値的に「感染者」が減少したように見せかけてムリヤリに<緊急事態宣言>を終わらせ、念願の<東京オリパラ>に向けての「聖火リレー」を開始させるのだろうか。
 最近スカ首相は「国民の命と暮らしを守る」というフレーズを繰り返すようになったが、彼が同じ言葉を繰り返すようになったとき、もう彼の頭の中ではそんなことは消え去ってしまっているのだ。それは「人類がコロナウィルスに打ち克った証としてのオリンピック」と語ることと同じなのだ。