ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『メイキング・オブ・モータウン』(2019) ベンジャミン・ターナー、ゲイブ・ターナー:監督

 1960年代の後期、アメリカを「ビートルズ旋風」が襲ったあとしばらくして、わたしはアメリカのヒットチャートを熱心に追いかけるガキンチョになっていた。時代はまだ「ロック」前夜で、シングルヒット中心の世界だった。当時のチャートを占めていたのはビートルズ以降の「ブリティッシュ・インヴェイション」のポップグループの曲と、そして「モータウン」のR&Bの曲との比率が高かったし、じっさいわたしが聴いて心に残る、ウキウキする曲はそんな曲なのだった。そんなわたしが好きだった曲が、このドキュメンタリー映画ではいっぱい聴くことができたのだった(大半の曲はホンのさわりの一部分だけだったけれども)。自慢じゃないけれども、このドキュメンタリーのなかで聴かれた曲のほぼすべては、わたしのよく知っていた曲ではあった。そういう意味でも、わたしにはうれしいドキュメンタリー映画だった。

 この映画は、2019年に創立60周年を迎えた音楽レーベル「モータウン」の長い活動を、創設者・作曲家・社長だったベリー・ゴーディと、彼を支えた副社長、そして才能あるミュージシャンであるスモーキー・ロビンソン両名の対話を中心に、「モータウン」レーベルに所属したミュージシャン、関係者らの回想、証言を交えながら振り返るもの。残されていた貴重な、モータウン内でのベリー・ゴーディを中心とした会議の録音テープがけっこう使用され、「そんなことが討議されていたのか」ということも含めて、非常に興味深かった(この部分は会議出席者の写真と、語られる言葉の書き文字とを重ねてあらわされていて、ちょびっと観ていてあわただしい)。

 ベリー・ゴーディのスタートはまずはデトロイトレコード店(ジャズの店だったらしい)を開くことから始まったのだけれども、店は長続きせずに閉店。ベリー・ゴーディは負債を返すためにも、フォードの製造工場でしばらく働く(デトロイトの街は自動車産業の街であり、故にモータータウン⇒「モータウン」と呼ばれた)。この車の製造ラインとその管理とは、以降彼が「モータウン」を経営する際のよりどころとなるのだった。
 そのうちに彼の書いた曲がヒットして資金を得、レコード制作会社をつくるのであった。まず彼はミュージシャンを発掘することから始め、そこでミラクルズのリーダー、スモーキー・ロビンソンと出会い、彼と意気投合することになる。
 何組かのミュージシャンを見出し、またホーランド=ドジャー=ホーランドというソングライター・トリオと契約する(このトリオはその後数多くのヒット曲を産み出すことになるのだ)。
 「モータウン」としてのさいしょの大ヒット曲は、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズによる「Shop Around」(作曲はベリー・ゴーディ)で、以後モータウンはヒット曲を連発、「ヒッツヴィルUSA」と名付けた本社を設けた。

 ベリー・ゴーディは白人ミュージシャンも育てようとしたが、それはうまくはいかなかった。しかし本社では白人スタッフも雇い入れて会社を発展させた(これは一部黒人の反発も生んだらしいが)。
 先に書いたように、ベリー・ゴーディは自動車工場の生産ライン、管理ラインから多くを学び、「モータウン」の経営に取り入れたのだった。

 とにかくは非常にテンポよく、実に多くの情報が飛び出してくるドキュメンタリーで、「ひとつのミュージシャン」の歴史を振り返るのではない「多様性」もあって、それぞれが実に興味深くって、ポイントポイントを書き留めていこうとしてもキリがない。観ていると「え!その問題はもうちょっと詳しくみせてほしいんだけれど!」と何度も思ってしまうのだった。
 多くのビッグ・アーティストらも登場し、当時を振り返る映像も、証言も記録されている。わたしが注目したのは、スティーヴィー・ワンダーがまだローティーンで登場したときの映像の、その多才ぶり。それからマーヴィン・ゲイのセッション風景などだった。
 映画の尺の問題もあったのだろうけれども、それぞれのミュージシャンで紹介される曲は1曲ずつ、という感じだったし、それもあっという間にカットされてしまう悲しさ。
 わたしは好きだったフォー・トップスの曲、その紹介があまりに短すぎたように思ったし、彼らとテンプテーションズとのライヴァル関係についてももうちょっと知りたかった。ただ、そんなモータウンのトップミュージシャンが何組も揃って、バスをチャーターして長期間の国内ロードに出た話、映像は面白かった。過酷なロードだったようだし、訪ねた地域では黒人差別の激しい地域もあったのだ(観客席が「黒人席」と「白人席」とに区切られることもあり、ミュージシャンが抗議して区別を撤退させたこともあった)。
 意外なことに、知らなかったのだが、ベリー・ゴーディダイアナ・ロスとはスプリームス後期に愛人関係になっていたという。「ああ、それでベリー・ゴーディがプロデュースした『ビリー・ホリディ物語』にダイアナ・ロスが出演したのか」と。ベリー・ゴーディの妹はマーヴィン・ゲイと結婚していたらしいし。

 映画の中でけっこう、ベリー・ゴーディスモーキー・ロビンソンがいっしょに語り合う場面が多かったのだけれども、そんな中でおかしかったのが、グラディス・ナイト&ピップスとマーヴィン・ゲイとでそれぞれ大ヒットし、共に1位になった「悲しいうわさ(I heard it through the grapevine)」を、「先にレコーディングしたのはどっちだったか?」と言い合いになって百ドル賭けることになったのだが、ベリー・ゴーディマーヴィン・ゲイだといい、スモーキー・ロビンソンはグラディス・ナイトだと言うのだ。わたしもこの曲をそれぞれが歌ってヒットした当時をリアルタイムに知ってたから、「先にヒットしたのはグラディス・ナイトの方だったから、グラディス・ナイトだろう」と思って観ていたのだが、意外にも正解はマーヴィン・ゲイの方が先にレコーディングしていたのだった。びっくり。
 しかしこんな風に、同じ曲を同じレコード会社のミュージシャンが別々にシングルで出し、どちらもトップになるなんて、この映画を観てしまうと、いかにも「モータウン」らしいことだとは思うのだった。

 う~ん、このドキュメンタリーに関しては書きたいことがヤマほどあって、書いていたらいつまでも終わらない。あのこともこのことも書いておきたい。そのぐらい、わたしが夢中になるドキュメンタリーではあった。