ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『世界動物発見史』ヘルベルト・ヴェント:著 小原秀雄・羽田節子・大羽更明:訳

世界動物発見史

世界動物発見史

 この本の原書はドイツで1956年に出版された本で、原題は「Auf Noahs Spuren(ノアの足跡をたどる)」というもので、日本ではまず1974年に『物語 世界動物史』のタイトルで刊行され、それが1988年に、この『世界動物発見史』と改題されて再刊行された(旧版の2冊本を合本して1冊にしたけれども内容はまったく同一で、版組、挿画もすべて同じである)。今回わたしが読んだのは1988年刊の方だけれども、まちがえて1974年刊の『物語 世界動物史』も買ってしまっている。それはそれでいいのだ。

 この本の面白さを、わたしはどうやって伝えればいいのか。いったい何がこの本の面白さなのか。それはただ、この本がわたしにフィットしたのだというしかないだろうか?

 そう、この本は「人類が世界をどのように認識してきたのか」ということをあらわした本でもあると思う。「世界」は、人類の前で常に動いていて、異なった表情をみせる。その「運動する世界」の中にひとつの「生命」というものを認識したときに、人類はどのようにその自分以外の、外の「生命」に対処したのか。一面でこの本はそういうことを記述した本ではあると思う。
 人類にとって、そんな外の「生命」とは、ひとつには「生命」というものを研究する対象ではあったし、一方では「征服すべき」対象でもあった。その人類の「両面性」が、この本のほとんどのページで読み取れるだろう。ある面で、人類が未知の生物、動物を発見するということは、その動物を撲滅することでもあった。これは人類というものがいかに野蛮で愚かな存在であったかという証(あかし)だとも思うのだけれども、一方で、「博物学」、「動物学」という科学的なアプローチから、地球上の生命を目録化してすべて網羅しようとする欲望もあった。

 このふたつのアプローチは相反するようにも思えるけれども、ところがつい19世紀までは、このアプローチは同じように「動物の虐殺」として結びついてもいたのだ。
 北洋の海にはかつて、「オオウミガラス」という飛ぶことのできない鳥が多数繁殖していたのだが、その肉が美味だったということからも、船乗りたちに虐殺されつづけることになる。19世紀の初めになって、そのオオウミガラスはわずかな地域にしか生存していなくなっていることがわかるのだが、そのときに世界の博物館は、そのオオウミガラスの標本を自分たちの博物館に所有するために、高額でオオウミガラス(の死体)を買い取ることを競って表明する。そのために、残り少なかったオオウミガラスは、一気に「絶滅」してしまったのである。今の世からすればあまりに「愚か」なことではあるけれども、それが19世紀までの「人類」の、世界への対峙法だったのだ。
 わたしはこの本を読む前に、ハヤカワ文庫の『地上から消えた動物』という本を読んだのだけれども、その『地上から消えた動物』に取り上げられた「絶滅動物」は、ほとんどすべてがこの『世界動物発見史』でも取り扱われている。つまり、「発見された」→「虐殺する」→「滅亡する」という経路をとるわけで、有名なドードー、そしてステラーカイギュウ、リョコウバト、先に書いたオオウミガラスなど皆そうだったし、アメリカバイソンも滅亡一歩手前で何とか救われた動物であった。これらは皆、つまりは「大航海時代」以降、新しい航路を求めたり新しい土地を探したヨーロッパの人々によって行われた「虐殺」ではあった。
 いや、それは条件はどんな動物でも同じで、特に新規に発見されて「滅亡」につながった動物に限らず、人類(ヨーロッパの人々)がその昔から見知っていた動物でも、虐殺され滅亡した動物もいるのではないかという問いも出てくるだろうけれども、例えば過去の書物や絵画などで登場する動物で、現在はもうその姿が見られない動物というのはほとんどいないようだ。ただ、今ではアフリカのみに見られる動物がかつてはヨーロッパにも棲息していた、という例はいろいろとあるようだけれども。

 やはりこの「虐殺」の歴史に力あったのは、そうやって航海に乗り出すようになったヨーロッパ人は、皆が手軽に銃などの殺りく武器を持っていたということが大きいだろう。もちろん、ドードーオオウミガラスのように「逃げない」動物は、銃を使うまでもなく「撲殺」で事足りたわけだ。そして、船で新しい土地に降り立ったのは人間だけではなく、ネズミやネコ、イヌなども、例えばドードーの卵を食用にして絶滅に力を貸すわけだった。
 ではなぜ人は、新しく目にした「それまで見たことのない」動物を虐殺し続けたのか、ということだけれども、ひとつには19世紀ぐらいまでの人々はほとんど、「ある動物が滅亡してこの世界に一匹も生存しなくなる」ということを想像できなかったらしい。そしてひとつの種が滅亡してしまうということの重大さに、まるで思いを馳せなかったようだ。
 新しく発見された動物は、ステラーカイギュウやオオウミガラスのように「航海の食糧」として殺りくされたケースもあるけれども、どうやらほとんどの場合、ただ「ハンティング」の的として殺りくされている。ドードーなどはただ「面白半分に」殺されまくったみたいだし、北アメリカに何億羽といたというリョコウバトは、いいハンティングの対象にされたようだ。同じ北アメリカで「絶滅一歩手前」に追い込まれたアメリカバイソンなどは、ただ開拓民が敵対していた先住民(インディアン)の主食がアメリカバイソンだったことから、先住民を飢えさせるためにだけ、バイソンを殺りくしまくったのである。
 もうひとつ恐ろしい例があって、発見されたオーストラリア大陸に移住した人々は、大陸に棲息していた動物らはすべて、自分たちの開拓のじゃまになる「害獣」だとして、徹底して殺しまくったのである。それも、動物たちの水飲み場に青酸カリを撒くなど、信じられないことをやっている。これは統計が残っていて、1906年の一年間だけで、20万頭のコアラ、25万頭のカンガルー、300万頭のクスクスが虐殺されている。移住者はコアラもカンガルーもクスクスも、みんな滅ぼしてしまおうとしていたのだ。

 では「動物学者」らはどうしていたのかというと、これまた、「新しい種」を発見するということは、まずその動物を殺して「標本」を得ることから始まったのだった。まあカメラなどのない時代だから、「証拠」というのはその動物の「死体」しかなかったわけだから、殺すのだ。この時代の「動物学者」とは、同時に「探検家」であり、「ハンター」でもあったのだ。

 しかし、ようやく20世紀になって、学者らもその考えをだんだんに変え始める。その転換点をあらわすような逸話が残っていて、20世紀の初めに学者らはアフリカ(リベリア)に「コビトカバ」がいるだろうと探索するのだが(かつていたことはわかっていた)、どうしても発見できず、「もう絶滅したのだろう」という考えが大勢を占めるようになった。そのときにションブルクという探検家・ハンターが、「いや、きっとコビトカバはまだ存在する」と、捜索に行く。1911年、ションブルクはアフリカの原生林の奥に分け入り、ついに自分の目の前で、まさに「コビトカバ」が木陰から川辺に歩いているのを目にしたのだった。
 後年、ションブルクはそのときのことを回想して語る。

私がこの動物を殺すのはどんなに簡単なことだったろう。この動物は川に入る前、観察している私と同じようにまたたきもせず長い間私を見つめていたのだから。だが、何かが私をおさえていた。

 ションブルクは、これだけ探索が困難だった動物であるからには、アフリカで最も数の少ない動物の一つだろうと推測した。ションブルクは、そのとき自分の目の前にいたコビトカバが、ひょっとしたらその種の最後の一匹かもしれず、その個体を殺すことでこの種を滅亡させたくなかったのだ。

私は、この幸運をもたらしてくれた動物を傷つけたくはなかった。死んだコビトカバに用はない。私はこの動物がこの国に今も生きていると信じてやってきたのだ。存在しないかもしれぬ動物を探しているという言葉にもう耳を貸す必要になくなった。

 しかし、原生林から戻ったションブルクを待っていたのは「賛美」ではなく、「冷笑」だった。ハンターであるションブルクが、探していたコビトカバを目前にして、それを撃たなかったなどということは誰にも信じられることではなかったのだ。
 その後も探索を続けたションブルクは、コビトカバがそれほど稀少ではなくそれなりの数が見られることを確認し、1913年に川岸の洞穴で見つけた個体を殺し、皮をはいで保存した。彼はそのときのことを書いている。

私はテントに駆けこんだ。そして残酷な猛獣狩りの私が涙を流したのだ。滑稽ではないか。しかし、張りつめた神経がみずからの権利を要求したのである。私はこの日をいかに待ち望んでいたことか。私はこの日のためにこそ一年間苦闘し努力してきたのだ。だが、今の私には何の喜びもない。ただただ私の言葉を信じなかった人々に勝ったというつらい勝利感を感じるだけだ。

 ついついションブルクとコビトカバのことを長く書いてしまったけれども、つまりここに来てはじめて、「見つけた新種動物を安易に殺してはならない」という意識が芽生えたのだろう。そしてこの本を読むことは、「絶滅危惧種」のことを考えることにも結びつくのだった。そして他にも、この『世界動物発見史』という本にはそのような新種を発見した「探検家」の面白い話に満ち満ちていた。

 わたしはこの本を読み終えるのに異様に時間がかかってしまったのだけれども、それはこの本を読みながらネット(Wikipedia)でその動物のことを検索して読み、また、その「探検家」、そして「動物学者」のこともまた、ときどき「この人は」というときに検索してみたのだった。けっこう多くの人がWikipediaに項目を持っていたのだけれども、本だけでは知り得ないことを調べて知るのも、また楽しいことだった。18世紀とか19世紀の探検家はやはりデンジャラスな生き方を選んでいるわけで、複数の動物を発見していろいろと活躍していた探検家のことを調べてみると、意外とわずか30歳ぐらいで命を落としたりされていたりする。

 この書物は、そんな「動物」のことが書かれただけの本ではなく、「冒険・探検」の本でもあり、「博物誌」の本でもある。書物内に多数引用された美術作品をながめることも楽しく、そこには以外にも北斎の作品が多数掲載されていたりして、この本の中でいちばんたくさん作品が掲載されている画家は、おそらく葛飾北斎ではないかと思われる。

 あまりに楽しい本、まだまだいろんな角度からのアプローチから、書いてみたいことが山ほどあるのだけれども、けっこう長くなってしまったので、とりあえずはこのくらいにしておきましょう。