ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-01-15(Sun)

 先日、ジェフ・ベックが亡くなられたばかりというに、この朝はまず、YMOの高橋幸宏氏が亡くなられたという報道が目に入って、とてもおどろいた。
 知らなかったのだが、高橋幸宏氏は2020年の夏に「脳腫瘍」を患い、摘出手術を受けていたのだという。手術は成功し後遺症も見られなかったというが、去年の暮れから「脳腫瘍」により併発した「誤嚥性肺炎」で療養を続けられていたのだという。けっきょくは「後遺症」だった、ということなのだろうか。
 高橋氏は去年の秋、70歳を迎えたことと音楽活動50年という年でもあったことから、豪華ゲストと共に「高橋幸宏 50周年記念 ライブ LOVE TOGETHER 愛こそすべて」という公演に参加されるはずだったらしいが、けっきょく「体調上の都合により」この公演には出演されなかったらしい。残念なことだ。
 ジェフ・ベックに続いての「巨星墜つ」というニュースで、悲しい気もちにとらわれてしまうのだった。

 この日もまた、昨日に続いて外では雨だったのだろうか。今日は買い物に出ようかとは思っていたのだけれども、寒いし、どうも身体が本調子でもないので、やはり一日家にこもっていたのだった。
 午前中はテレテレとテレビを見て過ごし、昼食のあとは和室へ行き、ベッドに横になって本を読むのだった。わたしがベッドに入る前に、ニェネントくんがしばらくベッドの布団の中で寝ているもので、わたしが布団に入るとニェネントくんのおかげで温かいのである。

     

 今日はボチボチ読み進めている『物語 世界動物史』をそこそこ読み進めた。オーストラリアでの動物発見の話が終わり、舞台はニュージーランドへ移る。ニュージーランドという島にはもともと肉食の哺乳類も存在せず、そのおかげでいろいろな「飛べない鳥たち」が繁殖していたようなのだが、まずはボルネオの方から「マオリ族」がニュージーランドに移住してきて、そういう鳥類は彼らの格好の食物にされてしまったのだった。有名なところでは「モア」という世界最大の鳥が、けっこう最近まで棲息していたのではないかと思われるらしいが、これをマオリ族の連中がみ~んな殺して食べてしまった。
 そのあとヨーロッパから調査に来た人々は「モア」の骨格を発見し、「まだどこかに生き残っているのではないか」と探索したが、もう遅かった。さらに輪をかけて、ヨーロッパ人らの「調査」というのはつまり、発見した動物を殺して「標本」にすることにかまけるわけだ。イヌ類もニュージーランドに持ち込み、事態は一層悪化する。
 今でも「キウイ」などはまだ棲息しているが、その「キウイ」の大型種の「タカへ」という鳥も虐殺されまくり、いちどは「絶滅」したものと思われた。しかし、近年になってまだ奥地に「タカへ」は生き残っているのではないかと考えた男が、執念で「再発見」する。そのとき男はニュージーランド政府に、「タカへが棲息すると思われる地域を以後立ち入り禁止にするよう」に求めるのである。そしてようやく、「新種の動物を研究するということは、その動物を殺すことではないのだ」という考えが広まるようになる。
 まあオーストラリアなどは、18世紀に入植したヨーロッパ人はオーストラリアにもともと棲息する動物はみ~んな「害獣」だとして、手当たり次第にぶち殺しもしていたわけだ。もうそれらの動物を食べるためでもなくただ虐殺する。野生の動物の水飲み場に「青酸カリ」を撒くとか、猟犬を放ってただ殺させるとかやって、数多くのカンガルー、コアラ、アイアイなどが殺されたのだった。

 さて夕方からは「大相撲」。栃ノ心も高安も休場してしまったが、昨日の結びの翠富士と貴景勝の取り組みは「楽しい」というのか何というのか、ほとんど殴り合いのケンカの一歩手前みたいな相撲だった。おそらく途中で翠富士が貴景勝に上から頭を押さえつけられ、「ムカッ」としたのだろう。そこから貴景勝の顔を殴るような張り手を見せ、貴景勝にも火がついてしまった。さいごは貴景勝が翠富士を放り投げたが、解説者も「ちょっと感情的になりましたね」と言っていた通り、「熱い相撲」ではあったけれども、アレでいいものなのか。
 そしたらこの日の結びはその貴景勝と錦富士だったのだが、これまた「熱い相撲」の張り合いになった。今日のは「ケンカ」ではなくいちおう相撲になっていたけれども、さいごに錦富士がカッとしたのか貴景勝の顔を張ろうとして、それが空振りして外されて負けてしまった。「冷静さ」を失ってしまって負けた、という感じだった。
 それと、大関から陥落して、今場所10勝以上すれば大関に復帰できるという正代だったが、昨日まですでに5敗。この日負けたらもう「大関復帰」なしね、という取り組みで、あっさり負けてしまった。
 はっきり言ってまったく「覇気」の感じられない取り組みで、もうほとんど「無気力試合」である。いちおう大相撲というのは「興行」なのだから、観客にこ~んな覇気のない力士の姿を見せるべきではない。相撲協会は正代に直接注意すべきではないかとも思う。
 だいたいこの何場所か、この正代の負け方というのは同じパターンが多い。相手は立ち合いに正代を下からかち上げ、のど輪とかで正代の頭を起こしてしまえば、もう正代の腰は伸び切ってしまって「棒立ち」状態になり、いとも簡単に、まったく無抵抗に土俵を割ってしまうのだ。毎回毎回同じことをやられて負けているのに、「ではその手を食わないようにしよう」という努力も工夫も見られない。ファンも見限ってしまうだろう。
 そしたらこの日は珍しく、立ち合いに相手がかち上げて来なかったものでがっぷりと組めたのだった(これは相手の若元春のミステイクだったか?)。正代はそのまま押し込んで相手を土俵際に追い詰め、さすがにこの日は勝てるのかと見ていたら、これがそのまま押し込めばいいのになぜか正代は相手を振り回してしまって位置が入れ替わり、逆に自分が押し出されてしまうのだった。
 しかしこの力士、そのうちに引退したあとは「元大関」ということで後進の指導をやったり、またテレビ中継にしゃしゃり出て来てもっともらしく「解説」とかやってしまうのだろうか。こんなざまの相撲を取る人物の言うことに、どれだけの説得力があるだろう。
 まあこうやって特定の人物を批判するようなことは書きたくないのだが、一相撲ファンとして、けっこうあきれ果てているので書いてしまった。