ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-01-14(Sat)

 久しぶりに天候が崩れ、外では雨になってもいたようだ。わたしは今日は一歩も外に出なかったので「雨」だったとは言い切れないが、夕方に窓から外を見ると、窓の前の地面は濡れているようには見えた。
 雨が降ったのだとすれば今年初めての雨で、この日記で調べると去年の12月22日以来のことになるようだ。テレビでも昨日などしばらく雨が降らないことが語られていて、もうじき都心での「無降水」の記録に並びそうだ、というようなことだった。
 そんな天候だったけれども暖かい一日になって、これは日本中が暖かかったらしく、積雪地では雪が融けて「雪なだれ」が起きたりしたらしい。

 大阪の淀川河口あたりに3~4日前からマッコウクジラ(らしい)が迷い込み、けっこうニュースネタになっていたのだけれども、昨日からまったく動かなくなり、今日になって死んだことが確認されたという。皆が「よどちゃん」なんてニックネームをつけたりしていて、「何とか助けられないのか」という声もたくさんあったようだけれども、自力で動かない巨大なクジラを誘導して外海へと導くのはまず不可能っつうことで、静観するしかなかったのだ。
 しかしこうしてお亡くなりになってしまうと、「その死体をどうするか?」という問題になり、それはまるで先日観た映画『大怪獣のあとしまつ』にそっくりの展開ではないかと思う。読んだところでは死んだクジラは体内から腐敗が始まり、ガスがたまってそのうちに破裂してしまうのだという。そういうところもまた『大怪獣のあとしまつ』とおんなじだ。
 ネット上をみても、沖に運んで沈め、腐敗にまかせればいいという意見や、「クジラの生態研究」のために死体を回収し、いろいろ調査しようという意見などさまざま。果ては「食糧にすればいいじゃないか」と言い出す人たちもけっこういるのだが、ちょっと調べれば、過去に死んでいるクジラを回収して食用にしたところ、大規模な食中毒が発生したというのは一度や二度のことではなかったことがわかる。やはり食べるなら「活きのいい」ヤツに限るだろう。

 クジラを食べるといえば、わたしがまだ幼い頃、よく親がクジラの刺身を買って来てくれたことを思い出す。「偏食」で肉類などまるで食べなかったわたしだが、なぜかクジラの刺身は大好きだった。
 わたしが育った北九州にはおそらく「鯨漁船」の寄港地があったのだろう。わたしの小学校に「クジラの赤ちゃん」の死体がやって来て、学校中で順番にその死体を「見学」したことを思い出す(あとでそのクジラの絵を描かされた)。
 おそらくはクジラ肉は当時は格安の肉で(学校の給食でも「クジラの竜田揚げ」が定番メニューだった)、刺身も他の魚の刺身よりもダントツに安かったのだと思う。冷凍で運ばれ、店頭で解凍しかけたクジラ肉の刺身は、わさびしょう油につけるとその味が引き立ち、凍っている肉が口の中でじわ~っと溶けて行く感じがほんとうに美味だった。
 それが東京に来てみると、時代の流れのせいもあっただろうけれども、そういうクジラの刺身がまるで売られていないことにガッカリしたものだった。
 あ、いちおう今のわたしは、「商業捕鯨」には大反対の立場であります。そのことは、「クジラの刺身が美味しかった」という思い出と矛盾するものではありません。それは例えば偶然獲れた「リュウグウノツカイ」を食べてみたらすっごい美味しかったので、これからは漁船で本格的に「リュウグウノツカイ」を採りますか、ということに近いモノがある(ちょっとちがうけれども)。

 今日のわたしはすっかり無為であった。一日何もせず、つまり写真も一枚も撮らなかったので、今日の写真は、一昨日駅のそばの跨線橋の上から撮った空の写真。見て気もちいい雲だった。

     

 そういうことでわたしは元気もないのだったが、ニェネントくんはこのところ元気いっぱい。おどろくほどよく食べるし、とにかくはいつもたいていはわたしのそばに寄り添ってくれる。
 夜寝るとき、わたしの布団の上に乗ってくるニェネントくんを手でかまってやると、わたしの指を「甘噛み」し返してくる。しつっこくかまっていると、そのうちにわたしの指ではなくわたしの手首のあたりを急襲し、それこそ「ガブっ」と噛みついてくる。ちょっと痛い。不意をつかれたわたしが「いててて!」と声を出すと、「フフ、してやったり!」って感じで、ベッドの上から跳び下りて逃げてしまうのだ。わたしとニェネントくんとのゲームである。