ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-07-31(Fri)

 とにかくは今のところ、ニェネントがややっこしい病気ではないようなので本当に安心した。ニェネントにはずっと健康でいてほしいし、そんなニェネントを守るためにもわたしも健康でいなくてはいけない。

 今日も、午前中は雨がときどき降るのだった。報道では、この7月で雨の降らなかったのは一日だけしかなかったという。明日からはもう8月になるのだけれども、まだ「梅雨明け」しない。ふたたびのCOVID-19禍と長雨で、とても外出したいなどと思わない「夏」の幕開きになった。

 東京の新規COVID-19感染者はこの日とうとう400人を超え、一気に463人になった。東京以外の地域でも感染者数は増加をつづけていて、毎日の新規感染者の数でみれば「危機的状況」だと思う。東京都の小池都知事は「都独自の緊急事態宣言」を発する考えを語ったようだ。しかし菅官房長官は「重症者の数は多くない」と「緊急事態宣言」するにはあたらないという。
 ネットをみていても、「COVID-19なんて風邪みたいなもの」という意見も目立つようになっている。仮に「風邪みたいなもの」だとして、この現在の「大流行」のもと、何ら対策を立てずに無為無策で生活していいというのだろうか。「COVID-19なんて風邪みたいなもの」という意見は安倍内閣の「無為無策」をフォローするものでしかなく、そのように考える人たちがCOVID-19の全国への拡散の「根源」になっているのではないのかと思う。

 今日は「演劇関係者」で集団COVID-19感染(今は「クラスター」という)が発生したという報道があった。まだ公演前の「稽古」の段階で発生したといい、今の時点で公演前の稽古をやっているところといえば、わたしにも思い当たるところがあって、例えばもうすぐ始まるはずの新国立劇場の演劇公演だとか、例えば8月下旬からの寺山修司関連の舞台とかが思い浮かんでしまう。そういうところで集団感染が発生したのなら、せっかくこの状況の中で何とか公演をやりとげようとしている人たち、悲惨だなあとか思ってしまったのだけれども、調べるとどうやら別の劇団だったようだ。
 その劇団もやはり徹底した「COVID-19対策」は行っていたようで、知らない劇団だとはいえ、悲惨なことだと思う(今のところ、その劇団への攻撃コメントは出ていないようなのでホッとする)。

 ニェネントの「ネコ缶」がなくなったので、仕事の帰りに手前の駅で下車していっぱい買い込んだ。あらためてそのネコ缶のパッケージを読むと、「1日に1/2缶を目安に与えて下さい」と書いてあった。どうもそれは少なすぎるのではないかと思うのだが、ちょっと考えてみよう。
 ついでに駅のそばにあるデパートの中の本屋に寄り、今いちばん読みたい本、磯崎憲一郎の新作『日本蒙昧前史』を買った。
 磯崎憲一郎は、彼が芥川賞を受賞するまではよく読んでいた。それがなぜか、彼の芥川賞受賞以降はまるで読まなくなっている。
 今回の新作はその帯に「我々は滅びゆく国に生きている、そしていつでも我々は、その渦中にあるときには何が起こっているかを知らず、過ぎ去った後になって初めてその出来事の意味を知る―――」とあり、とにかくは読みたい気分にさせられたのだった。
 それでおぼろげな記憶で、「磯崎憲一郎はたしかこの我孫子出身ではなかっただろうか?」と思い当たり、調べてみたらやはり我孫子の出身の人だった(我孫子のどのあたりだかはわからないけれども)。

 帰宅してしばらくすると外はすっかり青空になっていたので、「今こそ洗濯!」と洗濯をして外に干した。
 ニェネントの夕食の時間になり、昨日はネコ缶ひと缶を食べてしまったので、「今日もひと缶出してあげよう」とお皿に盛ってあげたのだけれども、この日はけっこう盛大に食べ残してしまった。こういうのはわたしはニェネントの「腹具合」を聞くことができないので、むずかしいところである。

     f:id:crosstalk:20200729173346j:plain:w500

 今日は通勤電車の中で読んでいた『生物から見た世界』を読み終え、寝るときにはさっそく『日本蒙昧前史』を読み始めた。