ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-26(Sat)

 休日。この日は一歩も外に出なかった。外は曇天で雨の降りそうな天候だったが、どうやら雨にはならなかったのではないかと思う。
 午後からはベッドに横になって、「あともう少し」になったナボコフの「書簡集2」を読む。読んでいるとニェネントが「かまってよ!」とベッドに跳び乗ってくる。抱き上げて胸の上に乗せ、ニェネントをなでて「かわいいね」とわたしの気もちを伝える。ニェネントはこういうときにはいつもにないハスキーな声で「にゃ~ん」となく。

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 ニェネントはいちどベッドから降りて行くけれども、しばらくするとまたベッドに上がってくる。それでまたかまってあげて、またニェネントは降りて行く。次にベッドに上がってきたニェネントは、わたしの横でわたしと並んで寝そべって、しばらくずっとまどろんでいる。

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 わたしもそのまま眠ってしまい、目覚めたら3時間も寝てしまっていた。もちろんわたしのとなりにニェネントはもういない。
 夕食はかんたんに「レバニラ炒め」にして、しばらくテレビを見たりパソコンを閲覧したりして、またベッドに行って『ナボコフ書簡集2』を読み終えた。次はついに『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』を読む番だとベッドに持ち込み、「編集ノート」、ちょっと長い「序文」を途中まで読んだ。

 わたしはボケだから、これだけナボコフを読みつづけてきても、ナボコフの政治意識というものにはほとんど考えをめぐらせることもなく、ただ彼の「亡命体験」、ベルリンでの生活から「ソヴィエトロシア」「ナチスドイツ」への反感、反撥があるだろうとは漠然と思っていたにすぎず、ナボコフの亡命までのロシアでの「体験」、「政治意識」について深く考えることもなかったのだけれども(ナボコフの自伝『記憶よ、語れ』にも、彼の政治意識については書かれていなかったと思う)、ここでアメリカに渡ったナボコフエドマンド・ウィルソンとの親交を深めるにあたって、ナボコフの政治意識、そしてウィルソンの政治意識ということが後々に重要なファクターにもなることがわかったし、青年期までのロシア時代のナボコフの「体験」というものが、いかに彼の作品に影響を及ぼしていたのかということを、この『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』の「序文」からうかがい知ることができたと思う。
 ナボコフの『断頭台への招待』、『ベンドシニスター』などのディストピア小説には、想像した以上にナボコフの「体験」が大きな影響を与えていたのだ。

 さて、IOCと日本政府は、どんなことがあっても来年の「東京オリンピックパラリンピック」を実現したいようだ。そのことが「世界がCOVID-19を克服した証」となるとも言う。
 今の状態では、日本を含めて世界中でCOVID-19を克服したなどとは言えるわけがない。もちろん来年の7月に状況がどのようになっているかの予測はできないけれども、わたしにはそんなに急速に今の世界の「COVID-19禍」が収束するとはとても思えない。
 もし仮に「東京オリンピックパラリンピック」をこのまま来年7月に開催するとして、いったいどれだけの国が参加するのだろうか。また、そのような海外からのアスリートや関係者の受け入れに、どれだけの混乱が生じるであろうか。来日するアスリートや関係者の支払うリスク、受け入れる日本側のリスク、どちらを考えても今の段階でわざわざそんな危機に自分から飛び込み、呼び込むことはナンセンスどころか、さらにCOVID-19の世界へのまん延に寄与するだけではないだろうか。「COVID-19を克服した」どころか、「COVID-19に敗北した」ことを明らかにするだけではないだろうか。わたしは来年の「東京オリンピックパラリンピック」の開催に反対し、今ある選手村などの施設はCOVID-19対策のため、感染者収容などに役立てた方がいいのではないかと考えている。