ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-05-30(Sat)

 Stay Home54日目だが、それも明日でおしまいである。
 朝起きて、ニェネントの朝ごはんを出してあげる。このところわたしとの距離を取り、また「ツンデレ」に戻ってしまったかというニェネントだが、今日は午前中にわたしがリヴィングで「ウイークエンド サンシャイン」を聴いているとわたしのそばにきて、わたしに向かってにゃんにゃんとなく。わたしの顔を見てしきりになきつづける様子は、わたしに何かしゃべりかけて訴えているようだ。
 わたしがしばらく入院していて、退院して久しぶりに家に戻ったときにもわたしの顔を見てにゃんにゃんとなき、それは「あんた、わたしを放ったらかしにしてどこへ行ってたんだよ!」みたいなことを言っていたのだろうと想像がついたけど、今日はなんでニェネントがないて、何をわたしに訴えかけているのか、まるでわからない。欲しいものがあるのか、やってほしいことがあるのか、こういうときにはほんとうに、猫語を解せないことを残念に思う。

 でもこの日のニェネントは昨日までとちがい、ずっとわたしといっしょだし、ずいぶんとわたしに懐くのだった。
 わたしがパソコンに向かっているといつの間にかわたしのそばにきていて、わたしのひじをペロッとなめてきたりするし(やはり、「何を要求しているのだろうか?」といぶかしむ)、ちょっと離れたところにいても、わたしが「ニェネント!」と呼ぶと跳んでやってくる。わたしが家の中でちょっと移動してもわたしのあとをついてくるし、まるで「忠犬」ならぬ「忠猫」である。

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 ただ、わたしがベッドで寝ていてもベッドに跳び乗ってくることはやらなくなり、それはやはり気候が暖かいというより暑くなり、ベッドの上は暑いということなのだろうかと思ったりする(毎年、夏はこうなのだ)。それでもベッドのそばにいるニェネントを拉致して、胸の上に抱きあげて「かわいい、かわいい」と撫でてあげる。
 ニェネントが撫でられて好きなのは、下あごのところ、頬袋の横、そして「おでこ」というか額のところだろう(別に「好き」ではないのかもしれないが、いやがって逃げていこうとはしないのだ)。おでこを鼻先から頭のてっぺんに向けて撫でると、目を細めて気もちよさそうにしている。
 あと、ネコのポイントには「しっぽの付け根」があるのだけれども、ここはネコの「性感帯」でもあるので、あんまり刺激すると「気もちいい」を越えてしまうので要注意というか、あんまり触れないようにしている。
 でも、そうやって撫でてあげていても、しばらく前にはわたしの胸の上でくつろいでいったのに、今ではすぐに跳び降りていってしまうのであった。

 テレビを見ていると、都心の繁華街も今日は多くの人出があるような報道をしていた。インタビューされた人は「第二波に気をつけたい」などと答えていたが、わたしなどは「第二波」も何も、「まだCOVID-19禍は収束しているわけではないだろう」とは思ってしまう。「第二波に気をつけたい」という言い方をするのなら、繁華街を出歩くのはまだ要注意だろう。

 買い物に行ったついでに、定期を買わなければならなくなるので預金をおろしたのだが、昨日づけで「ロウドウキジュンキョク」から、入院費にはまるで及ばない額が振り込まれていた。これは何のお金だろうか。おそらくは労災から支給されたものだろうが、労災の支給だとしたらまずは3月分ということになるだろう。しかし、これで3月分全額? それはないだろう。おそらく週明けにも内訳が郵送されてくるだろうから、それを見ないとわからない。

 夕方からは、ルネ・ラルー監督、ローラン・トポール原画・脚本の『ファンタスティック・プラネット』を観た。観終わると、同じルネ・ラルー監督、ローラン・トポール原画・脚本の『かたつむり』という短編があったことを思い出したのだけれども、その『かたつむり』が、ちゃんと「ニコニコ動画」にアップされているのを見つけ、さっそくすぐに観るのだった。

 読んでいるノヴァーリスの『青い花』は、あとちょっとで読み終わる。このStay Homeのあいだのことを思い返すと、せっかく分厚い本を読む機会だったというのに、けっきょくほとんど文庫本ばかりを読んでしまったなと思う。そういうのではまるで「逆」になるが、明日からは文庫本でなく、ちょっと大きな本を読み始めようか。