ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-12-15(Thu)

 昨日、ニェネントくんはようやく、「まぐろ」を少しだけれども食べてくれたかと思ったのだけれども、今朝よく見てみたら食事の台のへりにそのまぐろは落っこちていて、けっきょくやはり食べてくれなかったようだ(でも、皿から外へ引きずり出していたということは、「食べよう」という気もちはあったのだろうか)。

 今日もニェネントくんはやはり、「ちゅ~る」以外は食べてくれなかった。もう、ちゃんとした食事をしなくなって5日になる。薬が効いているせいか元気なことは元気なのだけれども、心配は絶えない。

     

 わたしは午前中に東のスーパーへ出かけ、ペット用品売り場で「ちゅ~る」をまとめ買いし(もうとにかく今は「ちゅ~る頼み」なのだ)、あと「少しでも栄養を」と思って、「ネコ用のミルク」とを買った。
 帰宅してから、「いつものご飯だと食べないのだから、ちょっと目先を変えて、今までのと違うキャットフードを買って試してみてもよかったな」などと思った。食べないなら食べないで仕方がないが、わたしも同じことを繰り返すのではなく、少しは工夫をしなければ。

 今日は天気も良く、比較的暖かい一日だったので、電気ストーブをつけているとちょっと暑くなるぐらいだった。ニェネントくんはけっこう活発に動き回るようになり、この日もリヴィングの窓際のニェネントくんの「ひなたぼっこスポット」で、しばらく丸くなったりしていた。
 わたしは昼食を焼きそばでかんたんにすませ、ベッドに寝て本を読もうとしたら、ニェネントくんが先にベッドの上で寝ているのだった。ちょっとニェネントを抱き上げて横によけてもらって、並んで寝ようとしたのだが、ニェネントくんはすぐにベッドから降りてリヴィングへ行ってしまった。前はベッドにいっしょに寝ることはまるで平気だったのに、今は夜になってもわたしの寝ているベッドに跳び乗って来ることもないし、それも「具合が悪い」せいなのだろうけれども、そういうことでも寂しい思いがする。

 ニェネントくんもけっこうウチの中を歩き回るようにはなったようだし、あとは先週のようにご飯をいっぱい食べてくれるようになり、夜になるとわたしの寝ているベッドに跳び乗って来て、わたしといっしょに寝てくれるようになれば、「もう<健康>だね!」と言えるのかなとは思う。

 読んでいる『物語 世界動物史』はとっても面白いのだが、この日読んだところでは、中世のヨーロッパを「混乱」させた「ゴクラクチョウ」の話が興味深かった。
 これは東インド諸島あたりを航海した船乗りが、現地の人からとても美しい鳥の死骸を贈られることに始まるのだけれども、その鳥には「足」も「骨」もないのだった。そんなの、現地の人がヨーロッパ人に贈る前に解体して足や骨を抜き取ったと思うのが、今の人の「常識」だろうが、あまりにうまく「骨抜き」してあったこと、また、他の航海から帰還した人も、まったく同じような鳥の標本を持ち帰ったことから、ヨーロッパの人はその鳥がそもそも「足を持たない」鳥なのだと思い込んでしまうのだ。その鳥は生殖活動も子育ても食事も、地上に降りることなくすべて「空中」を飛びながらすませてしまうのだろうと、もっともらしく語る学者も現れ、その「ゴクラクチョウ」と名付けられた美しい鳥を「生け捕り」にしようと、多くの博物学者らが南洋へと船出するのであった。
 この謎解きに、ヨーロッパの人らはなんと二百年も三百年もかかってしまうのだ。ようやく19世紀になって、ある航海士が帰国してからニューギニア周辺の旅行記を書き、その中で「生きたゴクラクチョウ」を目撃し、パプアの人々がその鳥を捕らえ、上手に骨も足も抜き取るところを目撃したことを書くのだった。
 しかし当時、その「足のないゴクラクチョウ」は女性たちの貴重なファッション・アイテムとして人気を博しており、以後も「ゴクラクチョウ」需要は続いたという。
 まあ読んだ感じでは「どうしてその鳥に足がないのか、そりゃあ捕獲されたあとに抜き取られたからだろう」と気づきそうなものだけれども、誰も誰もが「不思議な鳥だ」と思い込んだのだからそれこそ「不思議」だ。

 夜、わたしが寝るとき、昨夜まではニェネントはわたしが寝ている和室ではなく、リヴィングの方でひとりで寝ていたのだけれども、この夜は和室に置いてあるペット用のマット、ニェネントくんがベッドの上で寝ないときにはいつも寝ていたマットの上で寝ているのだった。
 なんだか、だんだんだんだんに、元のニェネントくんに戻って来つつあるようにも思える。「もう少し」かな? そう思いたい。