この角川文庫版では著者名は「ナサニエル・ホーソン」となっているけれども、日本では一般に「ナサニエル・ホーソーン」と表記される。以後は「ホーソーン」と表記したい。
ホーソーンは長編『緋文字』(1850)がきわめて有名で、むかしの「世界文学全集」にはほとんどのケースでこの『緋文字』が収録されていたし、今でも文庫本でたやすく入手することができる(わたしは未読)。今Amazonで検索すると、ホーソーンの作品は『緋文字』以外にもあれこれと邦訳が出ているようだ。わたしがなぜこの『七破風の屋敷(呪いの館)』(1851)を読みたいと思ったのかは今は思い出せないけれども、当時いろいろとAmazonで検索して、この1971年に刊行された角川文庫版を見つけて注文したのだった。読みながら何度か書いたように、この文庫版の翻訳はわたしの考えでは「世紀の悪訳」だったわけで、そんなわけのわからない日本語の渦の中で、わたしはどこまでこの小説の真髄を読み取れたのか、いささか心もとない。しかも訳者の「あとがき」によると、けっこう多くの部分で「改訳」ということをやっているらしい。がっくりである(だったらもっと日本語らしい文章にしろよ!とは思うのだが)。今調べたらもっと後の時代に刊行された邦訳の『七破風の屋敷』は別にあるようで、「そっちで読めばよかったな」とは思っている(ちょっとばかし高価だったが)。
さて、この小説は原題を「The House of the Seven Gables」といい、直訳すると『七破風の屋敷』で、日本でも一般に『七破風の屋敷』で知られている。それがこの文庫本はな~んで『呪いの館』などという安っぽいタイトルになってしまったかということは、翻訳者の方が「あとがき」で書いているけれども、1964年にちゃんと『七破風の屋敷』のタイトルで別の出版社から刊行されていたものが、角川書店が版権を得て文庫化するときに、「破風」という文字が一般の読者になじみがないという理由で改題されたのだということ。
ま、「まったく見当外れ」という邦題でもないけれども、原題の「厳粛さ」とでもいうようなものはかき消されてしまっただろう。
というわけで、ようやくこの小説の感想になるけれども、邦題から想像されるスティーヴン・キングの作品のような「怪奇・幻想小説」ではない(ま、一部にそういうゴシック・ホラー的なところがないわけでもないが)。
物語の舞台はニューイングランドで、小説の時制は小説が書かれたのと同じ19世紀半ばのことだけれども、それから二百年前に建てられた「七破風の屋敷」と呼ばれる屋敷で繰り広げられる「因縁話」というか、過去の屋敷の呪縛に囚われた人々がその呪縛から逃れ、「新しい一歩」を踏み出すまでの物語である。そういうところで、あの「マンダレイ」を舞台としたダフネ・デュ・モーリアの(というか、ヒッチコックの)『レベッカ』を思い出させられるところがある。
この「七破風の屋敷」と呼ばれる屋敷にはモデルがあり、マサチューセッツ州のセーラムにあり、現存しているという。ホーソーンはセーラムにいたことのある従妹から聞いた話をもとに『七破風の屋敷』のストーリーを組み立てたらしい。
そしてこの小説には「ピンチョン家」という没落しつつある一族が登場するけれども、この「ピンチョン家」は実在し、なんとあのトマス・ピンチョンの先祖なのだというからびっくり! しかしこの小説のなかの「ピンチョン一族」は名前だけを借用したもので、登場するピンチョン家の人々はすべて、ホーソーンの「創作」なのだそうだ。ややっこしいことをやるものだ(名誉棄損にならなかったのだろうか)。
ホーソーンの父方の祖先はかつてセイラム魔女裁判の判事を務めており、また、母方の祖先は近親相姦の嫌疑をかけられ迫害されるという過去があったといい、そのことがホーソーンの作品に影響を与えているということだが、この『七破風の屋敷』でも、屋敷にまつわる過去の魔女裁判的な呪いが、現在の登場人物らに「暗い影」を投げかけている(そういう意味で『呪いの館』という邦題も、内容的にかすってはいるわけだ)。
その「七破風の屋敷」は、マシュー・モールという男からピンチョン家の始祖のピンチョン大佐が土地をだまし取って建てた屋敷で、ピンチョン大佐はマシュー・モールを「魔法使い」として告発して絞首刑に処したのだった。そしてマシュー・モールは処刑のときにピンチョン大佐を指さし、「神さまはあいつに血を飲ませなさるぞ!」と叫んで息絶えたのだという。
のちにピンチョン大佐は七破風の屋敷の中の安楽椅子の上で、血を吐いて息絶えているのが発見されたのだ。
それから二百年が過ぎ去ったが、伝説の「呪い」を畏れたピンチョン家の一族は七破風の屋敷を見捨てたが、屋敷にはピンチョン大佐の肖像画が掛けられ、屋敷の成り行きを見守っているみたいだった。そのとき七破風の屋敷に住んでいたのは、ヘプジバー・ピンチョンという年老いた未婚の女性と、屋敷の一室を間借りしているホールグレーヴという若い銀板写真家(つまり「ダゲレオタイプ撮影師」だな)との2人だけ。
そんなときに冤罪の殺人罪で刑務所に入っていたヘプジバ―の兄のクリフォードが30年の刑期を終えてヘプジバ―を頼って屋敷に戻って来るのだった。経済的に成り行かなくなったヘプジバ―は、屋敷の表通りに面した一角で雑貨店を開くのだった。タイミングよく、田舎育ちのピンチョン一族のひとりでまだ若い娘のフィービが七破風の屋敷にやって来て暮らすようになり、彼女の雑貨店の手伝いで雑貨店は繁盛するのだった。そしてフィービはホールグレーヴと親しくなる。
さらにそこに判事のジャフリー・ピンチョンというのがやって来るのだが、彼こそがクリフォードに冤罪をかけ、刑務所に送り込んだ張本人ではあった。ジャフリーはクリフォードがこの七破風の屋敷の土地の「所有証明書」のありかを知っているものとし、その証明書を我利のために取り上げようと、クリフォードを「証明書のありかを教えなければもう一度刑務所送りになるぞ」と脅すのだった。さてさて、どうなることやら‥‥。
まだまだ話はつづくのだが、いやにこの屋敷の過去に詳しい(そのことには過去にさかのぼる理由があるわけだが)ホールグレーヴがフィービに、処刑死したマシュー・モールの子孫とピンチョン家の美しい娘、アリス・ピンチョンの話を語る。アリス・ピンチョンは陰謀の中に巻き込まれて死亡し、今でも屋敷にはアリスの亡霊が彷徨っているのだと(これはまさに、マンダレイの屋敷のレベッカのような存在だ)。
とにかく後半は波乱万丈の展開というか、過去に七破風の屋敷にかかわった人物らの亡霊が現れるようなシーンもある(これは幻覚なのかもしれないが)。
ホーソーンの筆致は時に曖昧模糊としていて、「殺人が行われたのではないのか?」と疑わしい場面もあったりするのだが、そのあたりの真実はさいごまで明かされない。
いちおう結末を書いてしまえば、屋敷の忌まわしい伝説を乗り越えて残った連中らは明日への希望を抱いて、アリスの亡霊に見送られながら「七破風の屋敷」をあとにするのである。
古い小説らしくもストーリー展開に起伏があって、面白いですね。ちゃんとゴシック小説じみた味付けもばっちり。この「古びた屋敷」というのも、ティム・バートン映画の舞台にもぴったりだ。
こういうのは今サブスクとかでやってるみたいな「連続ドラマ」として映像化したらとっても面白いんじゃないかな、などとは思うのだが、実はこの作品、1940年に一度映画化されている。クリフォード役でヴィンセント・プライスが出演しているのが気になるが、この作品は尺が90分とみじかく、とてもこの原作を描き切れるわけではないと、大幅に内容を変えてしまっているらしく、評判はよろしくない。ま、90分じゃムリですわ。