ピンチョンが書いた短編5篇と、それらの作品を自ら解説した「スロー・ラーナー(のろまな子)」という「序」とからなる短編集。この5篇以外にピンチョンは今まで、ほとんど短編小説を書いてはいないらしい。
5篇のうち4篇はピンチョンが『V.』で商業的にデビューする前に発表した作品で、さいごの「秘密のインテグレーション」は『V.』のあとに発表されたものと、ピンチョン自身が分けて考えているみたいだ。
この短編集が刊行されたのは1984年と、それらの短編が書かれてさいしょに発表されてから20年以上経っているわけで、「序」でのピンチョン自身の評価には手きびしいものがある。でも、「人目に触れさせるのも恥ずかしい」と考えれば、そもそも20年を経て再び刊行したということは、それなりの価値はあると考えたのではないだろうか(前作『重力の虹』刊行から10年以上経ち、次作までのブランクを埋めるためでもあっただろうが)。
・「小量の雨(The Small Rain」(1959)
ピンチョンは1953年から55年までの2年間、アメリカ海軍に入隊して基礎訓練を受けているけれども、この「小量の雨」は陸軍兵の話であり、これは陸軍にいた友人から聞いた彼の実体験をもとに、そこに海軍でのピンチョン自身の経験をプラスして書いているらしい。
主人公のリヴァインは、配属されている陸軍の駐屯地から同僚のピクニックと共に目的地も目的も不明のまま出動命令を受けるが、どうやらハリケーンに襲われたクリオールという地域での「救援活動」にあたるらしい。他の兵士らとも合流し、クリオールに到着してみると、氾濫した河川に流されて木の枝に引っかかった多くの死体を目にするのだった。さいごにリヴァインは駐屯地へ戻るトラックに乗せてもらい、「戻る」ということを考えるのだった。
作品の大半はリヴァインと同僚らとの取るに足りない「おしゃべり」が占めているのだが、そんな「おしゃべり」に、のちのピンチョンの作品の「饒舌さ」の萌芽があるようだった。
・「低地(Low-lands)」(1960)
ある朝、弁護士のデニス・フランジのところに悪友のゴミ収集員ロッコ・スクワーチオーネがやってくる。デニスは仕事に出るのをやめ、ロッコと家で酒を飲み始める。デニスの妻のシンディは大怒りだが、さらにそこにデニスのさらなる悪友、ビッグ・ボーダインが盗んだ車に乗って登場。シンディは3人を家から追い出し、3人はロッコの仕事場のゴミ捨て場へ向かう。ゴミ捨て場には「管理人」のボリングブルックがいて、皆をゴミ捨て場の奥の奥にある掘っ立て小屋に連れて行く。
皆は酒を飲みながらいろんな「海」の話をし、そのまま寝入ってしまうが、デニスは外からの声で目覚めて小屋を出てみると、そこには身長3フィートほどの美しいジプシーの女性がいたのだった。彼女はデニスを連れてゴミの山のトンネルを抜け、彼女の住まいに案内し、「わたしを妻にしてちょうだい」と言うのだった。
「いや、オレはもう結婚してる」というとジプシー女は泣き出す。デニスは「オレはほんとは子どもが欲しかったんだった。なんで俺とシンディには子どもがいないんだ?」と考え、「いや、いいとも、ここにいるよ」と答えるのだった。
この作品は、さまざまなイギリス民謡~伝承歌(バラッズ)の形象化されたファンタジーだと、わたしは思う。そもそもタイトルの「Low-lands」とは、イギリスで「低地」を意味し、多くの伝承歌で歌われてもいるのだ。作品に出てくる「飲んだくれたち」も伝承歌ではおなじみのテーマだし、寝る前に皆が話す「海」のこともそうだ。そしてもちろん、さいごには「夢の女」が登場するファンタジーになる。
・「エントロピー(Entropy)」(1960)
アパートメントの下の階では、ミートボール・マリガンらが軍人やジャズ・ミュージシャンらを集めてパーティーを開いている。ジャム・セッションなどを繰り広げていると、「パーティーをやっている」とのうわさを聞きつけて、女子大生のグループや船員たちまでもやってくる。
一方、上の階ではカリストという男性が衰弱した小鳥の雛を手のひらで包み、助けようとしている。室内の気温はずっと華氏37度で一定である。カリストはそこにいる恋人のオーバドゥと、「閉ざされた関係はつねに無秩序に陥ること」、そして熱力学の法則などを語り、「エントロピー」こそがアメリカをあらわすメタファーだとする。
ミートボールたちも、「コミュニケーションの不全」とかを語り合うが、パーティー会場はさらに混沌の度合いを深めて行く。ミートボールはこの制御不能な状況をどのように解決すべきか考える。
カリストが助けようとした小鳥は助かりそうもなく、オーバドゥは窓ガラスを叩き割って、外と中の温度を逆転させようとする。
ピンチョンらしくも、初めて理科学系知識を小説内に組み入れた作品だろうか。ある意味「ピンチョンのスタート作」といえるんじゃないだろうか。
わたしは、語られるジャズのスタンダード・ナンバー曲すべてを知っていたことが、ちょっとだけ自慢。
・「秘密裡に(Under The Rose)」(1961)
時は1897年、ところはエジプト周辺、イギリスのスパイのポーペンタインとグッドフェローとは、ドイツの宿敵スパイのモールドワープが総領事暗殺を企んでいると看破し、これを阻止しようとするのである。ラストはスフィンクス周辺での大活劇。
これは登場人物も多く、要約が難しい作品。ピンチョンはこの作品を『V.』の第三章として書き直し、『V.』のなかに組み入れた。ピンチョンの「スパイ小説好き」のさいしょの作品、ということになるだろう。
アンドロイド的登場人物もあり、まさにピンチョンの「ポスト・パンク」、「サイバー・パンク」的特徴もあらわれている。
・「秘密のインテグレーション(The Secret Integration)」(1964)
この短編集ではいちばん長い作品で、マサチューセッツ州のバークシャー丘陵地帯のミンゲバラというところを舞台とした、少年たちのちょっとした「成長物語」で、登場人物らは小学校高学年生みたいだ。
最年長らしいグローヴァを中心に、ティム、エティエンヌ、そしてアフリカ系のカールの4人は秘密の隠れ家として「キング・ユルヨの屋敷」と呼ばれる廃墟に集結し、「A作戦」と名づけた作戦の決行案を練っている。「A作戦」のAとは「Armageddon」のことで、次のPTA総会に手製のナトリウム弾を投げ入れる計画だ。
ここで話は1年前にさかのぼるが、「AA」(アルコール依存症から抜け出すための相互協力組織)の会員であるホーガン・スロースロップ(小学生である)は「AA」から電話を受け、街のホテルに宿泊しているアフリカ系のミュージシャン、カール・マカフィー氏のところへ行くように言われ、ティムをともなってマカフィー氏を訪ねるのだった。
マカフィー氏は酒を注文しようとするが、ホーガンとティムは必死でそれをとめる。それでマカフィー氏は酒どころかホテル代も払えない「文無し」だとわかる。グローヴァとエティエンヌもホテルにやってきてちょっといた騒ぎとなり、警官がやってきてグローヴァら4人は抗議するが、「何もやっていない」マカフィー氏をしょっぴいて行く。それは「黒人差別」というものの実態だろう。
ティムは、ティムのお母さんがカールの家に電話して「町から出て行け!」とどなるのを聞いている。そしてあるとき、ゴミを満載した車がカールの家の前に停まり、カールの家の庭にゴミをぶちまけて行ってしまうのをグローヴァとティムとエティエンヌは目撃する。そのゴミはティムが先日食べた果物の皮だったり、ティムがごみ箱に捨てた紙屑だったりする。
‥‥カールはどうしていたか? カールはさいしょっからいなくって、1年前の事件以降グローヴァとティムとエティエンヌとがつくりあげた「イマジナリー・フレンド」なのだ。そしてグローヴァらがPTA総会に手製のナトリウム弾を投げ入れようとするのは、彼らの「黒人差別」を知っているからなのだ。
ここでも物知りのグローヴァが「インテグレーション」について、その意味を皆に教えるのだけれども、それは「微分積分」の「積分」ということなのである。そして皆がそのあと知ることになるのは、「インテグレーション」とは「学校などでの人種差別の撤廃」という意味なのだ。
この5篇のなかでは、いちばんストレートにわかりやすい作品だった。
‥‥うう、もっと作品の感想を書くつもりだったけれども、作品の「あらすじ」ばかりになってしまった。反省。
