ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『カメラ・オブスクーラ』(1932) ウラジーミル・ナボコフ:著 貝澤哉:訳

 今年の初めに同じナボコフの『キング、クィーンそしてジャック』を読んだとき、わたしは「これがナボコフが書いた最初の『犯罪小説』ではないか」と書いたのだけれども、それにつづいて「犯罪小説」といえるのが、この『カメラ・オブスクーラ』だろうか?とは思う。
 まあ「犯罪」とはいっても、主人公が勝手にしっかり騙されてただけともいえる小説で、「主人公ひとりがバカだった」ということではある。

 基本ストーリーは、中年美術鑑定家の主人公クレッチマーが16歳の少女マグダに惚れ込み、妻と娘と別れて彼女と一緒に暮らすようになるのだが、クレッチマーは久々に知り合いの風刺イラストレーターのホーンと会うのだが、実はマグダはクレッチマーと会う前にホーンと付き合っていたわけで、これでもってよりを戻してしまい、クレッチマーに隠れて密会を重ねるようになり、あげくはクレッチマーとマグダとの自動車旅行にホーンが「運転手」として同行するまでになるのだ。
 あることから、クレッチマーはマグダとホーンとの関係を知ってしまい、マグダを車に乗せてヤケクソのドライブをして事故を起こし、自分だけ視力を失ってしまう。
 そのあと、マグダは「クレッチマーのためだ」とスイスに別荘を借りて転居し、そこにこっそりとホーンも呼び寄せるのであった。クレッチマーの財産も使い放題、好き放題をやっていたマグダとホーンだったが‥‥。

 「若い(幼い)女性にうつつを抜かして破滅する中年男性」ということで、あの『ロリータ』へとつながると評される作品だが、ここでのクレッチマーはただ「人のいいおマヌケさん」で、『ロリータ』のハンバート・ハンバートのように、ロリータの人生を台無しにしながらロリータと共に「世間」から逃げる「逃亡者」というのとはちょっと違う。
 しかしそれでも、「マグダをホーンに奪われていた」と気づいてからのクレッチマーには、「ロリータをクィルティに奪われた」あとのハンバート・ハンバートの心理と似た、「復讐」の気もちも芽生えるのだろう。
 『ロリータ』との親近性を考えれば興味深いところもある作品だろうが、舞台がヨーロッパということで、その空気感はまったく『ロリータ』ではないし、あちこちドライブしてまわる「ロード・ノヴェル」というわけでもない。また、クレッチマーには、ハンバート・ハンバートのように語り手として読者を翻弄してみせるような「技」はみせてはくれない。それにヒロインのマグダも、ただずる賢い「悪女」という感じで、どこかハンバート・ハンバートに人生を蹂躙された感のあったロリータの「悲劇性」は、みじんも持ち合わせがないだろう。おまけに、ホーンという男が胸クソ悪くって、読んでいても「コイツに天罰を!」などとは思ってしまうのだった。

 『キング、クィーンそしてジャック』につづいて、ロシア人など登場しない小説を書いたナボコフだが、この次の長編『絶望』にもロシア人は登場しなかったと思うし、そのあとの『断頭台への招待』は架空の国を舞台にしたディザスター・SF的な作品になるわけで、しばらく「オレはロシア人だから」という作品を書かなくなるナボコフ、ある意味で「コスモポリタン」的な存在を目指していたのではないかとも思える。
 じっさい、関係ないかもしれないけれども、この『カメラ・オブスクーラ』は1936年にロンドンから英訳本が出版されるのだけれども、それを読んだナボコフは大いに不満を抱き、1938年に自ら英訳を行って出版するのだ。これが実のところ、ナボコフによる最初の英語で書かれた本、ということになったのだと思う。
 その自らによる英訳本は『Laughter in the Dark』とタイトルを変え、内容的にも『カメラ・オブスクーラ』からかなり設定を変更、登場人物の名まえも変えてしまうし、削除、書きかえを行った箇所が多いのだ。
 そのナボコフによる英訳版は日本でも『マルゴ』のタイトルで翻訳されていて、わたしもたしか持っているはずなのだ。「この際、つづけて読んでみようか」と思って本棚をざぁっと見てみたのだが、例によって見つからなかった。

 さて、もう少しこの小説自体の感想を書きたいけれども、誰もがいうように主人公が「美術鑑定家」でもあることなどから、「見る」という問題を突き詰めた展開の多い作品である。
 いちどはマグダは「映画スター」を目指したりもするし、ここに「見られる女性」という、ナボコフらしい問題意識もみられる。
 そして終盤にクレッチマーが失明したあとの、「眼が見えない」ということの描写の見事さもまた、この小説の「魅力」のひとつ、だとは思った。

 そして実はナボコフによる英訳『Laughter in the Dark』は、あのトニー・リチャードソンの監督、アンナ・カリーナの出演で映画化されていて、日本でも『悪魔のような恋人』のタイトルで公開されたことがある。これはなぜか日本はもちろん海外でもDVDとかにされていないようなのだけれども、なぜかYouTubeに全編アップされているのだ。実はわたしも4年ほど前にコレを観ているようなのだが、例によってこの時期の「記憶障害」のため、これっぽっちも記憶していない。せっかく原作を読んだところだし(英訳版を読んでいればもっと良かったが)、そのYouTubeを観てみようか、とは思っているのだ。
 あと、英語版のWikipediaによると、2020年暮れの時点でスコット・フランクという監督が、アニャ・テイラー=ジョイという女優さんを使って(どちらもわたしの知らない方だが)、この『Laughter in the Dark』の映画化を企画中だと書かれてはいる。しかしもう4年近く経っても先の話が聞かれないところから、この映画化の話はなくなってしまったのではないか、とは思う。