- 作者:ウラジミール・ナボコフ
- メディア: -
1932年に発表された『カメラ・オブスクーラ』を、1938年にナボコフ自身が英語訳してタイトルも『Laughter In The Dark』として刊行したもの。その後ナボコフはロシア語時代の自作をほぼすべてを自分で英訳することになるのだが(自分で英訳できなかった作品はナボコフの息子のドミトリ・ナボコフが英訳するのだった)、そのいちばんさいしょの英訳作品がこの作品。
このさいしょの英訳作品で特徴的なことは、まずは登場人物の名前がみんな変更されたこと(タイトルも変えた)、それからかなり大幅な「書き換え」が行われたことで、こういう「英語への翻訳の際の書き換え」ということは、『絶望』でも行われたが、それ以降ではそのような「書き換え」はやられていないようだ。
まあ『絶望』での変更はラストへの加筆ぐらいのものだったようだけれども、この『マルゴ』では変更箇所はもうちょっと大きい。そして、この『マルゴ(Laughter In The Dark)』はこの英語版をもとに映画化されていて、わたしはそのうちにその英語版による映画を観るつもりもあって、この『マルゴ』を読んだのだった。
大きな大きな改変は2ヶ所。ひとつはロシア語版で冒頭から書かれていた、モルモットからマンガ化されて世界的に有名になったという、「チービー」についての記述がぜ~んぶ消えてしまったこと。これはナボコフは明らかに「余計なことだ」と思ったのだろう。これはその「チービー」の作者であったホーン(英語版ではレックス)が、そのときは売れっ子だったのだということの提示と、「動物実験」の材料だったモルモットへの視線を集めることとか、それなりの理由があってのことだったのだろうけれども、たしかにこの小説の流れの中では「邪魔」な存在だったろうか。
もうひとつの改変は、ロシア語版で主人公のクレッチマー(英語版:アルビヌス)が愛人のマグダ(英語版:マルゴ)とホーン(レックス)との関係を知ることになる、かつての知人の証言というか目撃談についてなのだけれども、ロシア語版でのこの部分は、その小説家である知人が、バスの中で見かけた仲睦まじい「恋人同士」の様子をスケッチした素描を読み上げられ、「それって、あの二人じゃないか」と主人公が気づくのだけれども、英語版ではその知人の語る「話」を聞いて気づくことになる。
これはわたしの考えではぜったい、オリジナルのロシア語版の方こそが優れていると思う。それは「目の前に起きていることを見ることのできない」盲目状態の主人公が、視覚的なことからではなく、知人の書いた「スケッチ」の朗読からという、聴覚的なことから知るという「皮肉~逆説」が効果的だとは思うのだけれども、たしかにここでナボコフの試みているその作家の文章の、独特のセンテンス(プルースト的な文体の模倣をやってみた?)が、一般受けしないという判断があったのではないかと思う。
このふたつの改変はあまりに大きいとは思うけれども、その他にも細かい改変はされているようだ。例えばロシア語版ではラストの主人公の死の描写で、彼への致命傷は「誰」によるものかはあいまいなままだけれども、英語版では主人公から銃を奪ったマルゴが主人公を撃ったのだと明確に書かれているし、このあたりの「死」へ向かう主人公の内面の描写には多少の差異もある。
どうもおそらくは、ナボコフはこの作品を英語訳する際にけっこう「大衆受け」することを狙ったのではないのか?という疑念はあり、それは「オレも英語圏デビューだぜ!」という「気負い」もあったのかもしれない。わたしとしては、まあ「チービー」に関する記述はたしかにいらなかったかなとは思うけれども、やはりその他の点ではオリジナルの「ロシア語版」にこそ、一日の長があったのではないかとは思うのだった。