ずっと「ガスレンジ」と書いてきたけれども、呼び名としては「ガスコンロ」と書くのが正しいのか、などとは思う。今はみんな着火口が2つとか3つとかあるのが普通だと思うけれども、わたしが長年使ってきたのは「ひとつ口」のシンプルなヤツ。さいしょに買ったときにキッチンのスペースが狭かったのか、そもそもわたしに金がなかったのかだと思うが、今の部屋もけっこうキッチンは狭いので、使っている「ひとつ口」のをまた買った。
まあいちどに2つの火を同時に使うということもあまりなく、ただスパゲッティをつくるときに「パスタを茹でる」のに並行して「パスタ・ソースをつくる」というときに不便を感じないでもないけれども、ただスパゲッティをつくるときのためだけに、倍以上もの価格のする「2つ口コンロ」などを買ってしまうのは、バカげているとは思う。
それでちょっと「ガスコンロの寿命」について調べてみたのだけれども、これは「設計上の標準使用期間」というのが定められていて、「10年」なのだと書いてあった。まあガス器具というのは火災の危険もあるのだから、あんまりボロボロになっても使いつづけるのはよろしくないのだ。
って、わたしが一昨日買い替えた「ガスコンロ」は少なくとも15年ぐらいは使いつづけていたわけで、「寿命」にはなっていたわけだなあ。
今日はようやく朝から、新しく買った「ガスコンロ」の設置を始めた。設置そのものよりも周辺の掃除の方がずっと「ひと仕事」だったのだけれども、とにかく設置して火をつけようとしてみると、これが「火がつかない」のであった。
‥‥「これはどういうことだ?」と思うが、つまりウチへのガス供給が全部ストップしているのかもしれない。「風呂はどうだろう」と風呂場へ行ってみると、あらら、ガスの元栓が開かれていて、前回風呂に入ったときから「種火」がつけっぱなしになっていたのだった。
まあ「種火」のことだから、長時間つきっぱなしになっていてもそこまで危険性はないことと思うのだが、失策である。いちど元栓を閉じて、再度種火をつけようとしたら、つけることはできないのだった。
これで、ウチへのガス供給がストップしていることが確定。ひょっとしたら、その風呂場の「種火」が長時間つけっぱなしになっていたもので、何らかの安全装置がはたらいてガスの供給を元からストップしたのかもしれない。
キッチンにガス会社の「安全のしおり」みたいなのが置かれていたので、そこに書かれている「緊急連絡先」に「ガスが止まってしまった」と連絡し、来てもらわないとならないか、などとは思うのだった。
電話連絡する前にその「しおり」に目を通すと、「マイコンメーターの復帰操作」について書かれている箇所に目がとまった。
そうか、ガスのメーターがあるのなら、そのメーターを見れば何かわかるかもしれないと思い、部屋の外に出てその「マイコンメーター」を探してみた。おお! この日は外ではけっこうな雨が降っているのだった。
今までガスのメーターなどどこにあるかも意識したことはなかったが、ドアの左側にその「マイコンメーター」があるのが、すぐに見つかった。それでその表示をみると、「ガス(止)」などと表示されていたのだった。おお、やはりこの部屋ごと、ガスは止められていたみたいだ。その表示の左側に「リセットボタン」があったのでそのボタンを押してみると、しばらく表示が点滅するのだった。
その点滅がおさまるまで確認して部屋に戻り、「どうかな???」と、新しいガスコンロに点火してみると、無事にガスの炎が点火したのではあった。
なんということだ。つまり、わたしが風呂の「種火」を消し忘れて放置したもので、「ガスの火がいつまでもつきっぱなしだ」ということで全体の安全装置がはたらいて、部屋全体のガスをストップしたのだ、ということらしい。
そういうことでは前の「ガスコンロ」もまだ使えたのだろうけれども、これはもう「あなた、いい加減そのガスコンロは買い替えなさい」、というメッセージだったのだろう。ニェネントくんも、そう言っている。
とにかく、いろいろとすったもんだとあったけれども、午前中にとりあえずは新しいガスコンロの設置も終わり、昼食はインスタントラーメンなどですませる。夕食はやはりインスタントの焼きそばにして、ガスが開通するといきなりに「質素」である。
午後は外の雨もやんだようだった。わたしはテレビを見たり本を読んだりして、ついにナボコフの『カメラ・オブスクーラ』を読み終えた。まあストーリーは知っていた小説とはいえ、えげつない小説やなあ、とは思うのだった。テレビで見るニュースとかもえげつないニュースばっかりで、世の中はすべてえげつないのか、などとは思うのだった。