ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-07-11(Thu)

 昨夜、ウチのどこかに「IHクッキングプレート」があることを思い出し、探して引っぱり出してみた。「どうだろう」と、さっそくお湯を沸かすのに使ってみたが、少し時間がかかる気がしたけれども問題なく使える。
 そりゃあそうだろう。わたしも20年ぐらい前はガスを使わず、すべての料理とかを電子レンジとクッキングプレートだけで処理していたこともあるわけだ。今回だって、もうガスはやめてしまおうかともちょっと考えたけれども、まったくガスを使わなくっても契約を解除しない限り基本料金は取られるし、そもそもが「風呂」のもんだいもある。それに住まい全体での賃貸契約だから、「ガス契約」だけ契約を外すというのはかなり面倒なことだろう。やはりガスにたよるしかない。

 この日は、三ヶ月に一度の、国分寺の「てんかんクリニック」への通院日。
 今のわたしの日常は、週末になるとテレビ番組が変わるので「一週間経った」と実感し、二週間に一度は「燃えないゴミ」として空き缶などを捨てることが出来るので、忘れてはいけない。そして一ヶ月に一度は地元の内科クリニックへ通い、こうやって三ヶ月に一度は国分寺へ行く。これがわたしの「日常の変化」だ、という気がする。
 クリニックの予約時間は10時半で、わたしは朝のテレビドラマ「虎に翼」を見終わったところで家を出る。そうそう、ニェネントくんには「お留守番」をやってもらうので、「ちゅ~る」を出してあげて出発する。

 ウチから国分寺へ行くにはいくつかルートがあり、それぞれの所要時間もそれほどには変わらないわけだ。それで、その中では「都会の中を通らないルート」、武蔵野線を使ったルートを選ぶ。武蔵野線で「西国分寺」まで行き、そこから一駅、「国分寺」へ乗り換える。クリニックは駅から歩いて3分ぐらいだ。

 クリニックでは、さほど待たずに先生の問診を受ける番が回ってきた。いちおう、先日「狭心症」のうたがいで地元の病院で検査を受けたこと、それで「酒」をやめたことなどを話した。先生は「ふんふん」と聞かれていたが、問診が終わりわたしが椅子から立とうとしたとき、「長生きしてください!」と声がかけられた。それはわたしからすれば「先生こそ」という気もちもあるので、「先生こそ」と返し、「先生はいつもお元気ですね。以前ラケットを持ってクリニックにいらっしたところを見ましたが、テニスとかやっておられたんですよね?」とお聞きすると、「いや、今だってやってますよ。この診察室にはほら、大会で入賞した賞状も飾ってありますよ!」と。
 それでわたしが診察室の壁をみると、「シニア・バドミントン大会のペアで3位入賞」という賞状が飾られていた。先生、すごい。もう80代後半ぐらいにお見掛けするのに。先生が「わたしが何歳に見えますか」というので、「85歳ですか」と答えると、「88歳です」ということだった。
 この先生なら、アメリカの大統領をおまかせしても大丈夫なことだろう。ほんと。

 クリニックを出てちょうど12時ぐらい。コンビニでサンドイッチを買い、駅のベンチに座っての昼食(前回国分寺に来たときも同じにしていた記憶がある)。
 帰り道は違う経路を取ってみようと、中央線を東京方面に乗り、神田駅で京浜東北線に乗り換えて上野駅まで行き、上野駅から常磐線に乗って自宅方面へと帰ったのだった。

     

 この日は朝から、いつ雨になってもおかしくないような天候で、バッグの中に折りたたみ傘を入れて出かけたのだけれども、途中雨に降られることはなかった。帰りに自宅駅が近くなって、そこでスマホで「雨雲レーダー」をみると、まさに「あと30分ぐらいで雨が降り始めます」というところではあった。けっきょく、傘は不要の一日ではあったけれども。

     

 帰宅して3時にも近く、玄関ドアを開けると、ニェネントくんが「お出迎え」してくれていたのだった(ニェネントくんの夕食時間も近いからね)。
 落ち着いてからニェネントくんの夕食を出してあげ、そのあとの自分の夕食は「レトルトパック」の白米と、「さばの味噌煮」の缶詰とですませたのだった。

 この日は電車に乗っていた時間も長かったし、読んでいたナボコフの『カメラ・オブスクーラ』もずいぶんと読み進めた。