ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-17(Wed)

 早朝、ようやく明るくなりかけた勤務先駅を降りて歩いていると、道の反対側の桜並木のうちの一本の木にぽつりぽつりとピンク色が見え、つまり桜の花が開花し始めているのだった。写真に撮ったけれども、まだあたりが薄暗いせいもあってピントが合わずにぼけてしまった。このくらいの明るさだと、まだ「夜景」モードで撮影した方がいいのかもしれない。

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 今日はもう彼岸の入り。昨日のようには暑くはならなかったけれども、すっかり「春」で、もうセーターのお世話になることもないだろうと思う。そして、今日はアイルランドでは「St. Patrick's Day」である。緑の日。ウチのあたりでもちょうど新緑のみどり色が美しい季節で、春の始まりを告げている。

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 わたしもアイリッシュ音楽が好きなので、今日は部屋でいろいろと聴きまくった。もうひとつのアイリッシュ、読んでいる『ユリシーズ』も、ついに全18章のうち17章め、「イタケ」に突入した。あと一息で読破である。

 今日読んだところにはバラッド(物語歌)の「Little Harry Hughes」という曲を、登場人物のスティーヴン・ディーダラスがレオポルド・ブルームに歌って聴かせるという場面があり、楽譜まで掲載されている。
 この曲はわたしもよく知っていて、わたしが持っているSteeleye Spanによるヴァージョンでは「Little Sir Hugh」というタイトルで、歌詞などに異同があるのだが(Steeleye Spanはこの曲に別の曲をくっつけたり、いろいろとアレンジしているわけだし)。

 つまり「ヒュー少年」が友だちらとボール遊びをしていたのだけれども、そのボールが垣根を越えてコロコロと転がって、ある屋敷のところに行ってしまう。その屋敷から緑の服を着た婦人が出てきて、ヒュー少年に「さあ、ボールを取りにいらっしゃい」と誘うのである。ヒュー少年はその屋敷に一人で行ってはいけないと知っていて、「いやだ、友だち皆といっしょじゃなきゃ行かない」と答える。しかし婦人はヒュー少年の手をつかみ、屋敷の中へ引きずりこむのである。‥‥婦人はナイフの刃をヒュー少年の喉にあて、床には真っ赤な血が流れるのであった。

 何とも蠱惑的なところのある曲だけれども、この曲は何を歌っているかというと、当時の(この曲は18世紀ぐらいの曲らしい)イギリス人の、ユダヤ人忌避を歌った曲なのである。つまり、屋敷はユダヤ人の屋敷で、緑の服の婦人はユダヤ人なのである(Steeleye Spanはこのあたり、「ユダヤ人」ということは持ち出さない曲に改変している)。
 ここで、『ユリシーズ』の中ではこの曲を歌うディーダラスはイギリス人であり、聴いているブルームはユダヤ人であるところから、二人のあいだには微妙な亀裂が生まれることになる、ちょっと重要なシーンではある。

 ところで、わたしの読んでいる文庫本の『ユリシーズ』にはこの部分の訳注として、この曲はヘレン・チャイルド・サージャントとライマン・ジョージ・キッドレッジ編著『子供の民謡』(1904)のなかの「サー・ヒュー、またはユダヤ人の娘」の異版らしいとしているのだけれども、これは間違いだと思われる。『子供の民謡』というのは大きな誤解で、これはフランシス・ジェイムズ・チャイルドが19世紀末に編纂した、全5巻からなる「The English and Scottish Popular Ballads」がそもそもの出典のはずで、この文庫本の訳注に書かれている1904年の『子供の民謡』というのは、仕事途中で急逝したチャイルドのあとを受け、弟子のライマン・ジョージ・キッドレッジがまとめた本。ひょっとしたら共編者のヘレン・チャイルド・サージャントというのは、フランシス・ジェイムズ・チャイルドの娘だかの血縁者なのかもしれない(調べ切れなかった)。
 それでそもそもの訳注にある『子供の民謡』という書名はぜったいまちがいで、フランシス・ジェイムズ・チャイルドがまとめた305篇のバラッドは今でも「チャイルド・バラッド」と呼ばれているのであり、訳注は人名である「チャイルド」を「子供」と翻訳してしまったようである。

 このことには「同じことをやってしまった」前例があって、シャーリイ・ジャクスンに『くじ』という短篇集があるのだけれども、そのなかの『魔性の恋人』という短編がまさに、そのチャイルド・バラッドの「The Daemon Lover」というバラッドが基になって書かれた作品なのだけれども(この曲もまた、Steeleye Spanが演っているのだけれども)、翻訳した深町眞理子氏はその文庫本の「あとがき」に、最初に訳したときにこの出典を「子供のバラッド」とやってしまったこと、そのとき誰も彼女の周囲で「チャイルド・バラッド」というものを知っている人はいなかったことなどを書いていらっしゃる。

 ‥‥なんだか、またどうでもいいことを延々と書いてしまったけれども、このあたりの音楽はわたしの最も愛するところのものでもあり、「チャイルド・バラッド」という言葉を耳にしたり眼にしたりすると、背筋がピン!となってしまうものですから。
 前にも、この『ユリシーズ』の訳注の「ダルシマー」の説明が違っていることを書いてしまったりしてるのだけれども、まあやはり文学の世界の方は「音楽」関係のこと(クラシック音楽以外)はオクテというか苦手のようではあり、ここでそこまで要求しても仕方がないかとは思ったりもします。しかし、こんな「訳注」のせいでまちがった認識を持ってしまう方がいらっしゃらないとも言い切れないわけです。
 このしつっこい段落のおしまいに、そのSteeleye Spanによる「Little Sir Hugh」を紹介しておきたいとは思います。かなりロックっぽいアレンジになっておりますが、発音がイギリス英語で聞き取りやすく、けっこう内容のわかる方もいらっしゃるかと思います。

 今日は夕方から、「GYAO!」でシルヴァン・ショメ監督の『イリュージョニスト』というアニメを観た。ストーリー原案はジャック・タチによるもので、主人公のキャラクターはまことにもってジャック・タチにそっくり。そして、思いもかけずに詩情あふれる背景とか光の描写などに感銘を受け、ストーリーの詩情にも泣かされてしまいました。DVDを買おう!ということになってしまいました。