ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『プニン』ウラジーミル・ナボコフ:著 大橋吉之輔:訳

プニン

プニン

 1971年に新潮社から刊行された『プニン』を、大橋吉之輔氏の訳による本文、訳者あとがきはそのままに、新しい装幀で文遊社が2012年に刊行したもの。文遊社という出版社は知らなかったけれども、鈴木いずみの著作集やジム・トンプソンの翻訳、その他けっこうカルトな書物を出版されているようだけれども、その出版目録には不意に、フラナリ-・オコナーやボリス・ヴィアンが飛び込んできたりしている。印象として奇妙な出版社だ。
 この本は美しい装幀(羽良多平吉:デザイン)で、表紙には薄く「I haf nofing left, nofing, nofing!」の文字が読める。これはロシアから亡命してアメリカに渡ってきた主人公のプニンが、まだ正確な英語の発音ができずに語った言葉で、原書からの引用なのだろう。もちろんこれは「I have nothing left, nothing, nothing!」と語っていて、第2章の末尾で元妻との復縁の可能性を絶たれたプニンが、家主の夫人のジョーン・クレメンツの前で泣き崩れて語る言葉である。

 先に読んだ『ナボコフ書簡集』の中でもナボコフはこの作品についていろいろ書いていて、その初期にはこの本のタイトルを『私の可哀想なプニン(My poor Pnin)』と書いている。このプニンという人物は実際のナボコフの「分身」のような存在で、そのロシアからの亡命~アメリカの大学で教壇に立つなどの経歴は、ナボコフと共通するところが多いし、あるときプニンが「入れ歯」にしてしまうというのも、ナボコフが書簡に書いていた実際の自分の体験と共通しているだろう。
 しかしこのプニン氏はヨーロッパ時代に最愛の人を収容所で殺され、そのあとリーザという、かなりビッチな女性と結婚するが、リーザは新しい恋人をつくって離別。それが「またあなたとよりを戻したい」というのでアメリカへの船に同乗するのだけれども、その船にはリーザの前の彼氏も乗っていて、彼女はふたたびその男の方へ行ってしまうのだ(なんて女だ!)。
 リーザには新しい夫とのあいだにヴィクターという男の子が生まれるのだけれども、あいかわらず不安定なリーザの夫婦関係からも、プニンはヴィクターを「自分の手で育てたい」とは思っている。
 アメリカに渡ったプニンはヨーロッパ時代からのロシア文学研究をつづけ、ウェインデル大学(架空の大学)でロシア語を教える助教授の地位を得る。この本の「現在時制」では、プニンはその大学で助教授になって9年の年月が経とうとしている。

 この本はつまりは、そのウェインデル大学時代のプニンの、さまざまなエピソードによる彼の生活を書いたものと言えるだろうけれども、この本が「奇怪(???)」なのは、けっこう早い段階で<書き手>として「小生」なる人物が闖入してくることで、「もし小生がこの温和な老人の物語の著者ではなくて、読者であったならば」と書くことで、自分「小生」こそがこの本の著者であることを宣言しているのである。
 ところがこの作品がすべて、その「小生」によって書かれたものだとすると、プニン氏以外に知るはずもない、第1章のプニン氏のクレモーナ行きの顛末をなぜ「小生」は書けるのか? また、ヴィクターがプニン氏を訪問した夜、誰も目撃者などいないはずの、プニン氏の部屋の外の小川に転がるサッカーボール(泣ける)のことをなぜ、あたかも自分で見たかのように書けるのか?

 ここで言えることはただひとつ、この『プニン』という本は、基本は「小生」という人物による「創作」だと読めるということ。しかしこの「小生」はそんなにひんぱんに作品に顔を出してくるわけではなく、読んでいればごく普通の「客観描写」による作品と読める。ただ、ひとつには、この作品は作品の現時制では主人公のプニン氏の内面深くに立ち入るわけではないのだが、プニン氏のロシア~ヨーロッパ時代の回想には、他者が知るはずもないプニン氏の内面も描かれている。しかしそれは、ダイレクトにプニン氏による回想ではなく、「プニン氏と同じような経歴を持つ」らしい「小生」によって書かれたものなのだろうか。
  しかし、この『プニン』を読んでいるあいだは、じっさいに「小生」が登場してこないかぎりは、ごく普通に三人称の「客観描写」の作品と読むしかない。
 つまり、「だって、『小生』とはつまり、作者のナボコフのことではないか!」ということにもなるのだけれども、読めばわかることだけれども、ナボコフは「小生」に対してかなりの距離を取っている。それでもナボコフ=「小生」というのはつまり、ナボコフがこの『プニン』という作品を書いたときの根本姿勢というか、「仕掛け」なのではあろう。
 このあたりのことは、『ナボコフ書簡集』の中でヴァイキング社編集者のパスカル・コーヴィシ宛の1954年2月3日宛の書簡に、その『プニン』のシノプシスとして書かれている。

(‥‥)そして、小説の終わりで、私VN自身がロシア文学について講義するために、ウェインデル・カレッジにやって来ます。一方哀れなプニンは、生涯をかけて書いていた本を含め、すべて未決着、未完のまま死んでしまいます。以上は本当に骨組みだけの概要で、これではこの本の美しさはわかりません。アフロディーテの骸骨を見ても、彼女の美しさがわからないのと同じです。

 つまり、この小説を読めばわかるのだが、新しくウェインデル大学に赴任してプニン氏が大学を出て行く原因となるのは、小説では「小生」なわけで、ナボコフの構想の中で明確に<ナボコフ=「小生」>ということがあったのがわかる。そして、その構想の段階では、「私の可哀想なプニン」は亡くなってしまう運命にあったのだ。それはあまりに可哀想だ!(実際にはプニン氏はウェインデルは出て行くが、後のナボコフの『青白い炎/淡い焔』にもちょびっとだけ出演し、「わたしは元気だよ」と読者に知らせてくれるのだ)

 作品の中ではしょっちゅうすっ転ぶし、こっけいな思い違い、変な英語の発音や変な身振りで、その容姿と合わせて嘲笑の対象にされるプニン氏だけれども、書き手の「小生」が踏み込まないプニン氏の内面において、彼は真摯な研究者だったようであり、ちょっとした立ち話ででも『アンナ・カレーニナ』の作中の時制についてただならぬ知識を披露もするし、「文学に興味のない」文学教授や、プニン氏の物まねをして彼を嘲笑するばかりの教授らの中で、ロシア~ヨーロッパ体験を抱えて「真に自己にたいして誠実であれば、マイラ*1の死のような事態を可能ならしめる世界に、とうてい良心と正気をもって生き続けられるはずがない」というプニンの、そのヒューマンな生き方はこの本から充分に読み取れるだろうと思う。ついでに書いておけば、そんなプニンのことを理解していたのは、ジョーン・クレメンツ、そしてヴィクター、そしてラストにプニンの運転する自動車の助手席にすわる白い子犬、ではあったことだろう。

 プニン氏自体がナボコフの「分身」ではあるだろうし、しかもこの作品を書いている「小生」ももちろんナボコフの分身である。そのことで考えたいことがまだあるが、ナボコフらしい仕掛けのある、いかにもナボコフらしい本だった。やはりこの『プニン』は、魅惑的なプニン氏の造形を含めて、ナボコフの著作の中では別格の「心への沁み方」をする本だ。
 

*1:プニンのさいしょの恋人で、ドイツの収容所で死んだ