ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ベンドシニスター』ウラジーミル・ナボコフ:著 加藤光也:訳

 1947年に刊行された、ナボコフ2作目の英語による長編小説で(ナボコフ全体では11作目)、ナボコフアメリカに渡ってから初めての作品。ナボコフの中でこの作品の構想・執筆は、前作(英語による第一作)『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』が刊行された直後の1942年から始まっていたらしいが、じっさいに執筆が進んだのは、第二次世界大戦終結した1945年冬から1946年春にかけてのことらしい。
 当然、そこにはナボコフとしての「第二次世界大戦」への総括、という気もちもあったのではないかと思う。ひとつにナボコフが祖国から亡命する原因となる「ソヴィエト・ロシア」の抬頭が、世界大戦で連合国側として認知されたことがあり、一方、ナボコフアメリカへ逃れる原因であった「ナチス・ドイツ」が敗北したのがその大戦ではあった。

 ナボコフはこの『ベンドシニスター』で、「ソヴィエト・ロシア」にせよ「ナチス・ドイツ」にせよ、そこに「人の自由な精神を抑圧する」全体主義を読み取り、そのような体制下の社会を「ディストピア」として書き上げている。
 これはWikipediaの「ナボコフ」の項目からの引用になるが、ナボコフの伝記を書いたブライアン・ボイドは、その「Vladimir Nabokov: The American Years(ナボコフアメリカ時代)」(1991)で、「ナボコフがこの小説を書いたのは『ナチス・ドイツもソヴィエト・ロシアも、人間の生活における最も壊れやすく大事なものにとっては獣じみた野蛮さを発揮するという意味では根本的に変わらないということを示す』ためだった」と書いているという。
 しかしナボコフは、この邦訳書の巻末に掲載された1964年の「序文」において、同じくナボコフの「ディストピア小説」と読まれがちな初期の『断頭台への招待』と合わせて、カフカの偉大な作品やジョージ・オーウェルの凡庸な作品との機械的な比較は無意味だと書いている(ちょっとこの部分、わたしが読みまちがえている可能性が高いが)。

 つまり、ナボコフにはもちろん、「ソヴィエト・ロシア」、「ナチス・ドイツ」を否定するためにこの小説を書いてもいるわけだろうけれども、同時にそれがオーウェルの『一九八四年』のような、ただストレートな「ディストピア小説」で終わることを、まさに「最先端の文学者」として、乗り越えようとしている。

 そういうところでは、わたしはこの『ベンドシニスター』には、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』に似た方法論を感じられると思う。
 ジョイスの『ユリシーズ』は、1904年の6月16日のダブリン、その時のその街、そこにいたさまざまな人々を作品の中に取り込んで、壮大な「神話的事象」に仕上げたものだったとして、このナボコフの『ベンドシニスター』は、架空の国「パドゥクグラード」をナボコフの筆をもってして本の中につくりあげようとする試みともいえる。
 まあそういう書き方では「どこが『ユリシーズ』なのか?」ということになるけれども、それはナボコフの執筆姿勢になるというか、たとえば『ユリシーズ』に長々と小説の中で「ハムレット論」を繰り広げる章があるけれども、この『ベンドシニスター』でも、ある章全体が二人の人物による「ハムレット論」のやり取りに充てられ、まさに『ユリシーズ』を意識しているのではないかという思いがする。
 そしてこの『ベンドシニスター』全体が、ただ「架空の現実」をでっち上げるのではなく、「今この小説を書いている<作家>(ナボコフ自身)とは?」という問題意識がつねに書かれていて、そういう意味で「ポストモダン」の産物とも言えると思う。

 先に引用したWikipediaによると、ブライアン・ボイドはこの小説における「不愉快な自意識」と「創造性の高い、挑戦的な断片」を賞賛しつつ、問題点やまとまりのなさ全てを正当化しようとする読み方をしてもその見返りは期待できないと述べているという。
 わたしもまた、このブライアン・ボイドの意見に同意したいのだが、ここで彼が言う「不愉快な自意識」というポイントが面白い。そのブライアン・ボイドの本が読めないから、どういうことをもってして「不愉快な自意識」と言うのかわからないが、わたしとしてはこの小説を読んでいて、「まるで素直にこの作品を読もうとするのを邪魔するかのような」小説家ナボコフの意識のことは、たしかに気になってしまう。ブライアン・ボイドはそのことを賞賛しているのかと思うが、この「引っかかり」こそが、この小説の「キモ」、であろうとは思う。

 そして、この次に書かれたナボコフの作品が、『ロリータ』になるのである。