ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-11-10(Tue)

 昨日のことで書くのを忘れていたのだけれども、あの「野良ネコ通り」で、ずいぶんと久しぶりに「ヒゲ殿下」の姿を見た。前にさいごに「ヒゲ殿下」の姿を見たのは冷たい雨の日で、殿下は雨にびしょ濡れになって草むらのところをさまよっているところだった。いかにも雨が冷たそうで、「何とかしてあげたい」とは思ったのだったが。
 そのあとその姿を見なくなって、「やはりあの日の雨はきびしく、あれでもうダメだったのかな」とは思っていただけに、その姿をまた見ることができたのはすっごくうれしかった。

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 何枚か写真を撮ったのだけれども、たいていは手前の草むらに自動的にピントが合ってしまい、つまり殿下はピンボケになってしまったのだった。
 わたしも目が悪いし、天気がいいとモニターのディスプレイに光が反射し、「ちゃんと撮れているのかどうか」わからないまま撮ってしまうことが多い。こういうところはちゃんと昔のカメラのような、もっと高級なデジカメのような、ファインダーがついている方がいい。

 今日は仕事の帰り、駅への通り道のビルの中、週替わりの出店で柄モノのマスクが売られていた。今回は中国製だけれども、けっこう気に入った柄のものがあり、価格も500円しないのでひとつ買って帰った。前に買ったヴェトナム製のマスクは今でもいちばんのお気に入りだけれども、この中国製も悪くない。ウチの近くのショッピングセンターで一枚千円で売っているようなモノよりずっといい。
 この「COVID-19禍」の世の中で、重要なファッションアイテムは「布製柄マスク」である。外を歩いていると、そういう「柄マスク」をはめて歩いている人ともすれ違うこともよくある。多いのは「和柄」というか、何と言うか「風呂敷」みたいな柄のマスクなのだけれども、アレは正直言って「年寄りくさい」。そんな中で、カッコいいマスクの人とかと出会うと、「あのマスク、いいな。どこで買ったのだろう?」とか思ってしまう。
 わたしもまずは「無地の布マスク」からはじまって、3~4枚の柄マスクを買ったけれども、だんだんに「こういう縫製はダメ」とか「この手の柄がいいのだ」とかの好みが出てきた。これからも冬になるわけだし、どうせこういう「With マスク」という日常生活は当分つづくだろう。だったらやはり、自分の気に入ったマスクで外を歩いてみたい。そういうことではまだあと2~3枚ぐらい買ってもいいかな、などと思ってはいる。

 今日も晴天で、自宅駅からの帰り道はピーカン照りで、空には雲ひとつなくただただ青い。写真を撮っても面白いわけではない。
 帰宅すると、ニェネントは和室のわたしのベッドの上でぐっすりと睡眠中。わたしがそばに行ってもまるっきし気がつかないで眠りつづけている。こういう「熟睡」というのは、ニェネントにはけっこうめずらしいことだ。

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 3時ごろから北のスーパーに買い物に出たが、このときには空にけっこう雲が出てきていた。あまりアテにならない天気予報では、当分は「晴れ」がつづくらしいが。

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 昨日から久しぶりにナボコフの『ロリータ』を再読し始めたけれども、前に読んでから今までのあいだに(わたしの中でも)犯罪としての「小児性愛」(ペドフィリア)という概念が浸透してしまったというか、読んでいて「これはやばい、おぞましいや」という気分にならないわけでもない。ただ、もうちょっとちゃっちゃか読み進められると思っていたけれども、文章の密度が濃いというか、ただストーリーを進めるための会話描写とか叙述とかがないので、読むのに時間がかかる。ふつうの小説なら文庫本で一日に百ページぐらいは読めるのだけれども、これがせいぜい50ページぐらいしか進行しない。文庫本で600ページあるわけだから、これは2週間かかるなあ。
 夜、寝るときにはナボコフの研究者のオーソリティ、ブライアン・ボイドによる『ナボコフ伝』を読むのだけれども、さすがにブライアン・ボイドというか、その「序」だけでも、自分の中のナボコフ観を一変させられる思いがする。