というわけで、今日は国分寺の「てんかん」のクリニックへ行く。発作抑制の飲み薬を処方してもらうことこそが目的で、特に診察もなく、かんたんな現状を聞く問診があるだけなのだが。
予約は10時なので、ニェネントくんに「お留守番」をお願いして「ちゅ~る」を出してあげ、8時ちょっと前に家を出た。2時間近い「旅」になるわけで、この暑さのもと、水分補給も大事だと、とちゅうの自販機でカフェラテのボトルを買った。ひとくち飲んでネジ式のフタを締めようとしたらうまく締まらず、「これで締められたか」という感じでバッグの中にしまったのだが、これがやっぱりちゃんと締められていなくて、電車のなかで缶の半分近くがこぼれてしまった。すわっていて服が濡れて気づいたが、バッグのなかの本もちょっと濡れてしまったし、えらい被害になってしまった。
国分寺到着。三ヶ月ぶりの国分寺だが、そのあいだにクリニックへ行く道沿いに新しい店がオープンしていたり、少し様変わりしていた。
この日はあまり待たされることなく順番になり、問診もかんたんに終え、調合薬局で薬を処方してもらっても11時前だった。
帰りの電車のなかで、ずっと読んでいたジョン・バージャーの『イメージ 視覚とメディア』を、ようやく読了した。
「今はこのところの倹約の成果も出てきたようだし、今日の食事は久々にスーパーで買って帰ろう」と、(運賃は同じなので)ひと駅乗り越して降りて駅に近いスーパーへ行き、昼食用にはサンドウィッチ、そして夕食用に「寿司セット」を買って帰った。「寿司セット」の幾部分かは、ニェネントくんの「おやつ」になってしまうことだろうが。
ちなみに、このスーパーでも、今は「備蓄米」が2000円で売られているのだった。どうやら「どこででも『備蓄米』は買えるようになったね」という感じである。
そのスーパーからウチへの道は大きなマンションが並んでいるあいだの道で、歩いて面白いわけでもないのだが、この日は道沿いの並木からいっせいにセミの鳴き声が聴こえて来て、とにかくにぎやかだった。「セミの姿が見られるだろうか」と、木の幹にセミの姿を探したけれども、鳴き声が大きく聴こえてくるそばでも、セミの姿を見つけることは出来なかった。
さて、ウチも近くなって考えたのは、「今日は久々にニェネントくんにお留守番してもらったわけだけれども、わたしが帰宅してドアを開けたとき、『お出迎え』をしてくれるだろうか?」ということだった。「ドアを開けてニェネントくんの姿がなかったらちょっと寂しいな」と思ったわけだけれども、帰宅してドアの鍵を開け、ドアを開いてみると、三和土のところにニェネントくんがいてくれて、わたしを見上げてくれたのだった。それはやっぱり「うれしいお出迎え」なのだ。
しかし、この日は部屋でエアコンを使ってもなかなか「涼しさ」を感じることもできず、初めて、エアコンの設定温度を1度とか2度とか低くしたのだった。感覚としては「この夏いちばんの暑さ」ではないか、というところだった。
今日はいつも見ている朝ドラの『あんぱん』も再放送の『とと姉ちゃん』も見られずに録画してあって、夕方につづけて見るのだった。
『とと姉ちゃん』もヒロインはメガネの星野くんに求婚されたし、『あんぱん』も、メガネの嵩くんとヒロインののぶとの話がメインになるようだ。しかし、この日の回、ラストに唐突に嵩の母の登美子(松嶋菜々子)が登場し、爆笑してしまった。
5時を過ぎて、わたしも夕食にしようと、冷蔵庫にしまってあった「寿司セット」を出したのだけれども、「やはり」というか「案の定」というか、ニェネントくんが和室の押入れから出て来て、「わたしにもちょうだいな」と、食卓のまわりをウロチョロするのである。それでニェネントくんの好物のサーモンや、マグロ赤身を分けてあげるのだった。
うむ、わたし自身、その「寿司セット」を食べて、「冷蔵庫で冷やしすぎたかな」という感じで、そもそもの具の美味しさも味わえなかったし、特にすし飯が冷えすぎて「寿司を食べている」という感覚ではなかった。残念であった。
そして、サーモンや赤身を食べたあとのニェネントくんも、わたしの目の前で「ゲッ、ゲッ」と吐き始めてしまい、夕食のネコ缶までぜ~んぶ吐き戻してしまった。これも冷蔵庫で冷えすぎた「具」のせいかなとは思ったが、よけいな「おやつ」をあげてしまったせいで、夕食のネコ缶まで「食べなかった」ことになってしまったのだ。これはわたしが不注意だったなあと、強く反省したのだった。ゴメンね、ニェネントくん。