ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『皆殺しの天使』(1962) ルイス・ブニュエル:脚本・監督

 『ビリディアナ』を撮り終えたブニュエルは、『ビリディアナ』に引きつづいて、シルヴィア・ピナルの夫でもあったグスタボ・アラトリステのプロデュースのもと、再び「作品制作の絶対的自由」を保証され、スペインにおいてこの『皆殺しの天使』をつくるのだった。もちろん、シルヴィア・ピナルも出演している。
 『ビリディアナ』の公開はえらい騒動を引き起こし、グスタボ・アラトリステの映画制作会社も解散したはずだが、どうやら彼はすぐに新しい映画制作会社を設立し、このブニュエルの新作を制作したようだ。
 この映画は1962年1月29日から3月9日までの6週間足らずで撮影され、そのときメキシコを訪れていたマリリン・モンローが、撮影中のスタジオを訪問したということ。写真も残されております(もちろん、左から3人目がマリリン・モンロー)。

     

 そしてこの作品は1962年のカンヌ映画祭に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞したのであった。前年のカンヌ映画祭では『ビリディアナ』でパルム・ドールを受賞しているので、ブニュエルは2年連続してカンヌ映画祭で賞を得たわけである。以下ストーリー。

 ノビレ家の邸宅に、その夜オペラ会場で同席した20人のブルジョワらが集まって気の置けない夜会が始まった。
 しかしそのとき、なぜか邸宅の従業員が次々に屋敷を抜け出して行き、残った従業員は執事ただ一人になってしまう。邸宅の主人夫婦は何とかやりくりして晩餐を用意する。食事の後、音楽室に移った列席者たちはピアノや歓談を楽しみ、帰る様子もなくそのまますっかり腰を落ち着けてしまい、その場でごろ寝するのだった。次の朝になってみると、誰ひとり屋敷から帰ったものはいなかったし、なぜか誰も屋敷から出られなくなっていることに気づくのだった(観ている限り、誰もドアを開けて出ようなどとしていないようだし、ダメだったら窓から飛び出してもいいじゃないか、などとは思うのだが)。
 そのまま誰ひとり屋敷を出られないまま何日もの日にちが過ぎ、水や食料が尽きてくると人々は徐々に理性を失っていく。皆で壁に穴をあけて水道管を壊して水を得たりするし、ついには死者も出る(いちおう客の中には医師もいて、彼は終始理性的な存在ではあった)。そうこうしていると屋敷に数頭のヤギと一頭の子グマが入ってきて、皆でヤギを捕まえて客間で火を焚き、ヤギを焼いて食べるのであった(クマはどこかへ行ってしまった?)。
 一方、屋敷の外でも軍隊が出動する騒ぎとなっているが、やはりなぜか、誰も邸宅の中に入れない。入ろうとしない。
 正気を失いつつあった人々は異常事態の原因は邸宅の主人のノビレにあると決めつけ、彼を殺せば問題が解決すると思い込むようになる。その事態に、ノビレは拳銃自殺を図ろうとするが、そこで1人の女性があることに気づく。人々が今いる場所がさいしょに夜会のあった夜と完全に同じなので、その時の状況を再現することで、無限ループに陥っている現状から抜け出せると考えたのである。こうして人々は彼女の考えに従うことで無事に邸宅から脱出する。わけのわからん解決策だが。
 その後、無事に生還した人々は「神への感謝」から(?)ミサに出席する。そして‥‥。

 面白かった。ただひたすら面白く、観ていて何度も声を上げて笑ってしまった。「なぜそんなことになってしまったのか」わけも分からず、そんななかで絶望する人、死んでしまう人、オカルトとかフリーメーソンとかの解決策にすがる人。ぜんぶ誰かのせいにしてしまおうとする人。それでも愛を語る人。
 映画の序盤で同じ動作、同じセリフがリピートされるところがいくつかあり、その「最終解決策」もまた、スパンの大きな「リピート」ではあったということ。これは先日観たアラン・レネの『ジュ・テーム、ジュ・テーム』のように「ループ」のなかに囚われてしまった人らの話なのか。
 いや、これは「ブルジョワジー批判」であり、いつものブニュエルのように「宗教批判」が込められた作品だろうという考えがあり、たしかにそのような面はしっかりあることだろう(ラストに教会の前に集まった軍隊(?)が群衆に対して発砲するシーンなど、当時のフランコ政権への批判でもあると思うのだが)。まあブニュエルにとってブルジョワジーへの侮蔑、宗教への侮蔑というのは彼のバックボーンのようなものではあり、あらためて「主題」にするようなことでもないように思えるし、あんまりこの映画に隠された意味を求め、何らかの批判を読み取ろうとするのも違うんじゃなかろうか。
 とにかく、「なぜかわからないけれども」こ~んなことになってしまい、外に出られなくなってしまったという「不条理」。もうそのことだけで笑えるではないか。そしてこの映画、のちのブニュエルの『ブルジョワジーの密かな愉しみ』(1972)にずいぶんと似ているではないか。
 あと、屋敷の皆が集まる客間を「舞台」のように見せるセット・デザイン、それに2階に上がった子グマを下からの照明の影で大きく見せる演出とかも、ブニュエルらしくって楽しませてもらった。
 この映画についてはロラン・バルトが語っている次の言葉が、わたしにはいちばんしっくりくるようだ。

 「ただひたすらに無意味なものということであれば、今の私に思い付くのはルイス・ブニュエルの、例えば『皆殺しの天使』だと思われます。」