これは、近代アナーキズムの3人の思想家、プルードン、バクーニン、そしてクロポトキンの著作を集めたアンソロジー的な書物で、この「アナーキズム思想とその現代的意義」はその巻頭に載せられた「解説」ともいえるもの。
まず、「現代的意義」とかいっても、これが書かれたのは60年近く前のことだし、現在のアナーキズム感とのズレもはなはだしい。まあ、こ~んな古い本を今ごろ読んでいるわたしがいけないのだけれども。
とはいっても、「むかしの本」とはいえ、面白いことに気づくこともある。
それで思ったのは、この解説の著者は猪木正道と勝田吉太郎という人。お二人ともすでに故人だが、お二人とも京都大学の名誉教授になられている。そして猪木正道氏は防衛大学の校長となられ、産経新聞のオピニオン・コラム「正論」に執筆することが多かった。勝田吉太郎氏もやはり保守系の論客と呼ばれる人物であり、産経新聞への執筆が多かったらしい。
つまり、いちおう「左翼」と認識されているであろう「アナーキズム」を研究されていても、自分自身は「右翼」と言われても仕方がないであろう活動をされた方々なわけで、これはどういうことだろう、とは思ってしまう。
まあ世の中には「敵を知るにはまず敵のことを知ろう」ということもあるわけで、そういう立場から「左翼運動としてのアナーキズム」を研究されていたのだろうか、とは思った。
そういうことを頭の片隅におきながらこの「解説」を読むと、アナーキズムがマルクス主義の仇敵であり、この「解説」でマルクス主義(=共産主義)の「プロレタリア独裁」について激しく攻撃していることを紹介するとき、筆に力がこもっているように感じられるわけで、「そうか、<反共>の道具としてアナーキズムのことを研究されていたのではないか」とは思うのである。
じっさい、このプルードン、バクーニン、クロポトキンの3人のなかではバクーニンこそがマルクスの同時代人でもあり、もっとも激しくマルクスの思想、共産主義の理論を攻撃しているわけだけれども、そうしたバクーニンの思想を紹介するときに「嬉々とした筆致」とでもいうようなものが読み取れる気がするのである。
一方、クロポトキンの思想というのは多分に「理想主義」的なところがあるのだけれども、そんなクロポトキンの思想について書くときには、彼の思想は「中世への逆行」であり、「だれの目にも明瞭な時代錯誤のイデオロギーと映じるであろう」とか切り捨ててしまうし、「科学的、実証的研究から導き出されたものであるよりは、むしろ彼の心中に前もって描き出された美しい幻想にすぎないのである」とまで書いているのである。
これははっきり言って相当に歪んだ観方だろうと言わざるを得ず、アナーキズムにはそのような「理想主義」的な世界観から出発するところがあるわけで、その部分を切り捨ててしまって、ただ「反共・反マルクス」というところだけクローズアップしてしまうのはいかがなものだろうか。というか、「右翼的」立場から、「反共」の道具としてしかアナーキズムを見ていないのではないのか、とは思えてしまうのである。
この「解説」が書かれてから57年だか58年だか経ち、そのあいだに「アナーキズム」という思想もずいぶんと変化してきている。まず、「人類学」とのジョイントというか、人類学者の研究の成果が新しい「アナーキズム」思想を産み出しもしたし、柄谷行人の考える「マルクスとカントの統合」からの「世界共和国」というものにもアナーキズムの新しいかたちを見出せるだろう。さらに台湾のオードリー・タンも自らを「保守的なアナーキスト」と呼んでいるし、今ではすっかり時代遅れの「解説」ではあろうけれども、それでもこの本に掲載されているプルードン、バクーニン、クロポトキンを読むことは、「解説」の意図からはずれても、「時代遅れ」とはいえないことだろうと思う。