ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『時計じかけのオレンジ』(1971) アンソニー・バージェス:原作 スタンリー・キューブリック:脚本・監督

 原作はアンソニー・バージェスによって執筆されて1962年に出版されたが、彼はすぐに映画化権を売却した。その時の予定ではデビュー間もないローリング・ストーンズが出演し、ケン・ラッセルが監督することになっていたという。もちろんアレックス役はミック・ジャガーで、ミック自身この役に興味を示していたという。このさいしょのアイディアは二転三転し、ビートルズが出演するという案も持ち上がったらしい。
 当時「スウィンギング・ロンドン」の中心的存在であったテリー・サザーン(彼は『博士の異常な愛情』の脚本を書いている)は、メインキャストをビートルズに想定してさいしょの脚本を書き上げた。映画プロデューサーのシー・リトヴィノフは1968年に監督候補のジョン・シュレジンジャーに手紙を送り、アレックス役はミック・ジャガー、映画のサウンドトラックをビートルズに依頼するつもりだったらしい。
 しかしこの案はイギリスの映画検閲委員会の問題で実現することはなく、映画化の権利は最終的にキューブリックのものとなった。
 テリー・サザーンキューブリックに自分が書いた脚本を渡したらしいが、キューブリックはそのとき、実現しなかったナポレオンの映画を撮ることに熱中していて、しばらくその脚本を放置した。妻の勧めで原作を読んだキューブリックはこの本に夢中になり、けっきょく自分ですべての脚本を書いてしまったのだった。テリー・サザーンの脚本はどうなったのか?(以上、英語版Wikipediaによる)。

 当初、アレックスをミック・ジャガーが演じる案だったというのは興味深く、たしかに完成した映画でもアレックスをリーダーとした4人組にも、当時のビート・グループのイメージが残されていると思う。まあミック・ジャガーが出演していたら、いくら彼のイメージがワイルドでも、もっとマイルドな映画になってはいたことだろう(ミック・ジャガー主演なら監督もちがっていただろうが、ケン・ラッセル版の『時計じかけのオレンジ』は観てみたかった気もする)。
 それにしても「ビートルズが出演かよ?」とか「ビートルズがサントラつくる?」な~んて、今考えるとぜったいあり得ない話だけれども、まだまだ「人気は一番のアイドル・グループ」ぐらいに思われていた時期かもしれないし、彼らが「スーパースター」になったあとだって、「ま、ビートルズだって『マジカル・ミステリー・ツアー』みたいなアホらしいの撮って、自分たちで出てるんだからね!」な~んて思われていたのかもしれない。

 というわけで、アレックスはマルコム・マクダウェルが演じることになって、このキューブリック版の映画が完成した。わたしはこの作品でのマルコム・マクダウェルは、とっても素晴らしいと思う。まさに不良っぽいビート・グループのリーダーを彷彿とさせ、「シリアスさ」と「ユーモア」とを、時には暴力的に、時には諧謔的に演じ切り、キューブリックの演出とともにこの作品のトーンをつくりあげていただろう。あと、アレクサンダー氏を演じたパトリック・マギーの、顔で見せる「怪演」も忘れられないが。

 それでアレックスの「恍惚と楽しみながらの」暴力シーンで、アレックスが「雨に唄えば」を歌うというのも秀逸な演出で、わたしなどはもう、この曲を聴くと『時計じかけのオレンジ』を思い浮かべてしまう。ほとんどこの映画のテーマソングみたいだ。

 作品はたしかにそんなヴァイオレンス・シーンが目立つだろうけれども、じつのところ作品の本質は、「逆パブロフの犬」みたいな、暴力への嫌悪を植え付けられる「ルドヴィコ療法」を受けて、「暴力の根絶」を目指す政府に政治的に利用されるアレックスのストーリーとなる。意図せずにベートーヴェンの「第9」を聴いても「ルドヴィコ療法」の影響で嫌悪反応を示すようになっているアレックス。これがかつてのアレックスの暴力の被害者であったアレクサンダー氏が、アレックスの歌う「雨に唄えば」を聴いてほとんど嫌悪反応を示すわけで、表現としてアレックスの「第9」への反応と「対」になっていたと思う。復讐心に燃えたアレクサンダー氏(反政府のガチガチの左翼でもある)はアレックスを閉じ込め、「第9」を聴かせて彼を自殺に追い込もうとする。
 映画は一巡して、かつてアレックスに「ルドヴィコ療法」を施した政府の内務大臣が、自殺未遂して重傷を負ったアレックスのもとを訪れ、アレックスの自殺未遂のために支持率の落ちた政府の復権のため、自殺未遂によって「ルドヴィコ療法」から完治した姿を皆に見せてほしいと頼まれるのだ。しかし彼は実はそのとき、いちばん最初のウルトラ・ヴァイオレンスなアレックスに戻ってるのだった。このあたりのマルコム・マクダウェルの演技、ラストのその表情がキマッていた。

 作品はもちろん、「ルドヴィコ療法」のような「精神医学的療法」への否定であって、そのような精神医学療法を政治的に利用しようとする権力への批判ではあるだろう。このことは、当時禁止されつつあった「ロボトミー手術」をも想起させられるかと思う。また、アレックスらの無軌道な暴力行為は、アメリカの「マンソン事件」も想起させられるだろう。

 作品の中の「イギリス・ポップアート」風な美術もまさに「近未来的」設定で目を楽しませてくれるが、あちこちに飾られている卑猥な絵画作品、そしてアレックスの殺人の凶器にもなってしまったあのオブジェなどの立体作品は、当時イギリスで活動されていたハーマン・マキンクとコルネリス・マキンクの兄弟による作品だということ。この兄弟の作品をキューブリックに教えたのは、キューブリック夫人のクリスティアーヌだった、という話もある。
 音楽はベートーヴェンなどのクラシック音楽シンセサイザーで編曲したものなどが使われたけれども、キューブリックはほんとうはピンク・フロイドの『原子心母』を使いたかったのだが、拒否されてしまったのだという。