ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『CURE』(1997) 黒沢清:脚本・監督

 黒沢清監督の、ブレイク作。日本よりも海外で評判になった作品でもあり、黒沢清はフランスでももっとも新作の公開が待たれる監督になった。
 この作品の前の黒沢監督の劇場映画は、先日観た『地獄の警備員』(1992)で、この『CURE』までの5年間は主に哀川翔主演のVシネマを何本も撮っている。わたしはこの夏からそれらのVシネマを連続して観たのだけれども、やはり同じ監督の作品として連続している部分が多い。特に即物的な暴力描写があり、ワンシーンワンカットや横移動カメラ、ロングショットなど独特の映像世界への傾斜は、そんなVシネマ時代に形成されたものだろうか。

 わたしはこの作品はむかし、レンタルヴィデオやWOWOWなどの有料放送で2~3回観ていると思うが、とにかくは20年ぐらいも以前のことではあり、記憶もあやふやになっている。それでも映画のストーリーの根幹のところは記憶していたし、印象に残るヴィジュアルの記憶も残ってはいて、何となくこの映画のことはある程度理解しているつもりではいた。
 それは、精神を病んでいる妻と生活している刑事(役所広司)が、「伝道師」と言える記憶を失った男(萩原聖人)と出会い、男と接触したことで殺人を犯してしまった人らのことを調べるうち、その「伝道師」が「メスマー催眠療法」の研究をしていたことを突きとめるのだが、いつしか刑事も次代の「伝道師」になってしまっていた、というようなストーリーで、映画の中での警察官(でんでん)による同僚射殺、女性医師(洞口依子)による公衆トイレでの殺人のような、唐突で感情移入のない乾いた演出がショックだったし、刑事が妻とバスに乗っているときにそのバスの窓から漂う雲だけが見えたこと、そして以後の展開を恐れさせられるラストシーンなど、よく記憶していたのだ。

 それで久しぶりにこの作品を観てみると、実のところ非常に大事なシーンのことを忘れてしまっていたし、あらためて全体のストーリーを把握したのだった。
 というか、こうやってしっかりと観直してみると、刑事(役所広司)の精神の変化というか、彼がいつ、どこで萩原聖人の影響、感化を受けてしまうのかとか、はっきりとわかったのだった。
 映画の中ほどに、病院の隔離病棟の病室に役所広司が一人で訪れ、萩原聖人と対峙する長い長いワンシーンワンカットの場面があり、今回はこの場面、このときの役所広司の演技を観てからだが震えて涙が出るぐらいのショックを受けたのだった。
 この場面の意味が解ると、それ以降のストーリーの流れも、役所広司の演技の変化もよく理解できると思えた。

 そのように観たとき、例の雲の上を浮遊するバスのことも、萩原聖人が「ほんとうの自分に会いたい人間は、いつか必ずここに来る」と語った、巨大な木造の廃墟の建物も意味も解るような気がする。
 この映画は、表面的にはシビアな現実を映像化した「リアリズム」を基調とした描写なのかと思えるけれども、実はそんな中に、まさに「精神世界」とでもいえる「非現実の世界」でのことが紛れ込んでいる。そのことこそ、この映画に時代を超えた「普遍的価値」を持たせているのではないか、とも思う。

 これはあとで思いついたのだが、映画の後半で役所広司がクリーニング店へ行き、引換券をなくしたクリーニングを引き取ろうとするのだけれども、そのときにクリーニング店の中に「赤いワンピース」があることを、観客の目をひくように撮られていた。この「赤いワンピース」、黒沢監督の作品では女性の赤い服は「死」の象徴。あそこで役所広司の妻はすでに死んでいることを、観客に知らしめたのだろう。