ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-03-20(Sun)

 昨日、ウィリアム・ハートの訃報のことを書いたけれども、そのしばらく前にはマイケル・ケインが89歳の誕生日を迎えたとの記事もあった。元気であられる。
 映画界で元気であられるといえば、クリント・イーストウッド、そしてフレデリック・ワイズマンという、1930年生まれで現役の監督がいらっしゃる。おっと、ジャン=リュック・ゴダールもまた1930年生まれだ。すごいなあ。
 音楽業界ではストーンズミック・ジャガー、そしてキース・リチャーズは共に1943年生まれで、これからストーンズの新作を録音するというし、この夏にはヨーロッパでのライヴ公演のスケジュールが組まれているらしい。かつては「Don't trust over 30!」というのがロックの標語だったものだが、今では「Don't trust under 70!」という感じだ。まさか孫のいるだろう野郎どもがステージに立つなど、40年とか50年前には想像することも出来なかったものだ。

 ちょうど、先の3月17日は、わたしがいちばん好きなミュージシャン、アレックス・チルトンの12周忌の日だった。彼が心臓疾患で亡くなったのは60歳のとき。よく、彼の死はアメリカの健康保険の不備のためだと言われ、その名声に関わらず金銭的には恵まれていなかったというアレックスの死は、医者にかかれなかったために早まったという。あまりに残念なことだった。

 今日は、読んでいた大岡昇平の『成城だより』(その一)を読み終えた。大岡昇平も、その日記では「もうヘロヘロだよ!」みたいに書き、いくつもの疾病を抱えていたというけれども、最期は80歳近くになって脳梗塞で亡くなられた。特に認知症という症状もなかったようだ。

 どうも昨日から、「死」ということを考えてしまうようになった。
 自分は机に向かって本を読んだり、テレビのモニターで映画を観たりするとき、自分の「生」は無限につづくように思っている気配があるが、そうではない。
 夜になるとわたしが寝ているベッドの上にニェネントが跳び乗ってくるけれども、こういうこともいつまでもいつまでもつづくわけではない。
 はたしてニェネントくんとわたしと、どっちが先に冥界へ旅立ってしまうのか。どうも微妙なところがあるのだが、わたしはニェネントくんを遺して旅立ちたくはない。ニェネントくんを見送るのはわたしの「責務」なのだと思う。
 もちろん、ニェネントくんにはせいいっぱい長生きしてもらって、それを超えてわたしがニェネントくんを葬ってあげなくってはならない。

 なんだか、「こ~んなことはこの日記に書かない方が良かったな」とは思ったが、消して書き直すより、このまま残しておくことにした。まあ健康に留意し、ニェネントくんと共に長く生きようと思うわけである。

 わたしのそばに寄って来るニェネントくんを抱き上げ、その顔にわたしの手をかぶせてやると、ニェネントは前足をわたしの手に回してきて、「そういうの、イヤじゃないよ」という反応だと思う。イヤだったらわたしの手をはじき飛ばして逃げて行くだろう?

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 それで今日も、一歩も外に出なかった。夕食は冷蔵庫にずいぶん前に買ってあったダイコンがあり、これを何とか使おうと、「ダイコンと厚揚げ、豚肉の炒め煮」というのをつくった(ちょっと豚肉が焦げたが)。久々にブロッコリーから逃れた食事にはなった。

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