ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-03-19(Sat)

 先日、アメリカの俳優ウィリアム・ハート氏が亡くなられたとの報に接した。最近はこの方の出演した作品を観た記憶もなかったが、シリアスな演技をみせる、記憶に残る役者さんだったと思う。享年71歳と、今の時代ではまだまだ活躍が期待される年齢だったと思う。というか、わたしとあまり歳はかわらない。
 その前にはロック評論を書かれていた松村雄策氏の逝去の報を読んだばかりだった。肺ガンだったという。彼も70歳と、言ってみれば「若かった」。わたしは松村氏のロック関係の文章を読んだ記憶はまるでないのだが(聴いているジャンルがまるで違うだろう)、まあ好きな音楽にのめり込んで、そんな音楽のことを書いて生を全うされたのだから、まだ早い逝去とはいえ、幸せな生涯だったと言えるのかもしれない。
 っつうか、自分に近い年齢の方がつづけて亡くなられたりすると、多少は自分のことを振り返ってみたりもする。「自分も、あまり健康な生活もしていないなあ」とか思うわけだ。
 まあ読んでいる『成城だより』での大岡昇平氏のように、自宅から近くの駅まで散歩で15分歩くと疲れて、帰りはタクシーに乗るみたいな状態ではないけれども、「旺盛な好奇心の持ち主」と言われた大岡氏みたいな好奇心を、わたしは今持っているだろうか?と自らに問えば、肯定的な答えは出せない気がする。

 昨日は雪にでもなりそうな冷たい雨の一日で、まだまだ寝るときには毛布をかけることにもなり、ニェネントくんが跳び乗ってくるのだった。

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 今日も、一日気温が上がらなかったようで、リヴィングで電気ストーブをつけっぱなしの一日だった。けっきょく外には一歩も出なかったので、外の天候のことはまるでわからないのだが、日が暮れてから外では雨の降る音が聞こえ、スマホにもこのあたりで雨になるとの知らせが届いていた。

 わたしは昨日出かけて、久しぶりに人との会話に長い時間を割いたせいか、疲れてしまった気配があり(これでは大岡昇平氏とおんなじだ)、一日ほとんど何もしなかった。
 夕方から「何か疲れない映画を観ようか」と、以前観た『ルーム』という映画に出ていたジェイコブ・トレンブレイという子役のコが印象に残っていたし、そのコがその後に出た『グッド・ボーイズ』というおちゃらけ映画の予告を観ていて、面白そうだとは思っていたのが、「Amazon Prime Video」で無料配信されているのを見つけたもので観てしまった。楽し。

 ウクライナでは非戦闘員のウクライナの市民に多くの犠牲が出ているという。そんな中でロシアの侵攻に大きな進展はないみたいだけれども、特にネットに流されている「情況分析」にはいろいろなバイアスがかかっているようではあり、そんな報道を読んで「そうなのか」と納得してしまうことに、それなりに危険性を感じてしまう。
 プーチンが「追い詰められている」などという論調をそのまま信用することは出来ないし、そもそも、この「ロシアによるウクライナ侵攻」での一番の問題は何なのかということが、情勢の細かい報道で見失われてしまうようにも思う。前にも書いたことだけれども、そもそもの根源的な「反戦」という意識と、「反プーチン」という意識とが錯綜し、「反プーチン」意識はかんたんに「反ロシア」に結びついてしまう。
 その後の報道で読むべきものは読み、けっきょくこのウクライナ情勢の問題は、世界にまだ残る(いや、「残る」どころか、近年はその勢力を伸ばしつつある)「独裁国家」と「民主主義国家」との衝突だろうとは思う。
 そんな中、今の日本国内では「民主主義」というものへの無理解が拡がっている。それは国家において国民が主権を持つということへの無理解であり、「福祉」とは「税金の無駄づかい」であり、「権利の主張」には「義務」が伴うという思考である。それはほとんど、ロシアでのプーチンの政策の一歩手前というところもあり、そういう人たちの語る「反プーチン」とは「近親憎悪」なのではないかとも思ってしまう。
 怖れるのは、このロシアのウクライナ侵攻を機会として、今の日本がさらに反動化するのではないかということだ。