ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-04-17(Sun)

 夜中に目覚めたら、ニェネントがわたしの寝ている布団の右側で丸くなって寝ていた。「おお、このところ布団の上にはあんまり来なかっただけに、うれしいね!」とは思う。特に、わたしの右側、壁沿いの方に来ているのは珍しいのだ。
 あまりわたしがもぞもぞしていると、ニェネントも嫌がってベッドから降りて行ってしまうし、そのままあまり動かないようにじっとしていて、また寝てしまう。
 そのあとにまた目覚めたのだが、こんどはニェネントはわたしの左側で寝ていた。うん、こういうのはわたしには「幸福感」というヤツである。おかげで、何か面白い内容の夢をみていたように思うのだけれども、その内容も忘れてしまった。

     

 今日も曇り空で、気温もあまり上がらなかった。午前中に買い物に出かけ、これがこの日一回だけの「お出かけ」になった。
 国道を渡る歩道橋に上がったとき、スズメのカップルが鳴きながら飛んで来て、歩道橋の向かいの民家の屋根に並んでとまるのだった。
 スズメというヤツはじっとしていないし、カメラを持っていてもシャッターチャンスがむずかしいのだけれども、ちょっとピントが甘いとはいえ(後ろの屋根瓦にピントが行ってしまった)、わたしとしてはけっこううまく撮れたと思う。二羽おそろいで、同じ方向を同じように向いているのが愛らしい。

     

 昨日観た『スパークス・ブラザーズ』のことをつらつらと思い出し、スパークスのことを調べたりしたのだけれども、わたしが唯一聴いていたスパークスのアルバム「Kimono My House」のジャケットの、あのキモノ姿の日本人女性ってどんな人なんだろうとか調べてみると、ジャケット右側の扇子を持っている女性はミチ・ヒロタさんといい、今もロンドンで活動されているミュージシャンの廣田丈自氏という方の夫人らしい(左の人は行方不明?)。

     

 そして、この方はのちにデヴィッド・ボウイの「It's No Game」の中で、あの怪しい日本語の詩を朗読されていた方でもあられたらしい。ちょっと、「なんということだ!」と、おどろいてしまった! 思いもかけないところでリンクする世界。


 
 今日は、そんな昨日観た映画のことをこの日記に書いたりして、時間を取られてしまった。前からの悩みで以前にも書いたけど、他に実はやりたいことがあっても、この日記を書くのに時間を取られてしまう。こういうことは大岡昇平氏も『成城だより』に書かれていたけれども、わたしの場合は頭に障害があって記憶が持続しないということもあり、「忘れないうちにそのとき思ったこと、考えたことは書き留めておきたい」というのがあって、やはりそのために自分の時間が取られてしまってもしょうがないか、とは思っている。

 さてそれで、わたしは野球とかにさほど興味はないのだけれども、今年のプロ野球は、セリーグでは阪神がめっちゃ弱かったり、パリーグでは先週に千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が16年ぶりの「完全試合」をやってのけたりと、「面白いな」と思ってしまう(実は阪神はひそかに応援している)。
 それでこの日はその佐々木朗希投手がまた登板し、8回まで「完全試合」ペースで投げたのだけれども、その8回で降板したのだという。特に体調を崩したとかいうのではなく、監督の決定だというが、その降板した8回時点で0-0だったのだから、そんな勝てるかどうかわからないゲームで投げ続けさせるより、いちどブレイクを入れるというか、納得行く判断のように思った(って、わたしは野球の作戦面のことなどわかる人間ではないのだけれども)。でも、この件ではいろんな意見が出てかまびすしい状態になりそうだ。

 毎週日曜日は、6時からは『世界遺産』を観ることになっているのだけれども、これが先週から同じ時間に『香川照之の昆虫すごいZ!』などというのが始まってしまい、『世界遺産』は見られなくなってしまった(わたしは「録画」などということはやらないのだ)。

 ウクライナ情勢では、ロシアがマウリポリに残るウクライナ兵士、市民に「投降」を要求しているという。もちろんウクライナのゼレンスキー大統領は「投降拒否」したと言うが、このような災厄はいつまで続くのだろうか。
 日本では先日、映画監督(去年の「東京オリンピック」の記録映画も撮っている)の河瀨直美氏が、東京大学の入学式で祝辞を述べ、そのなかで「ロシアを悪者にすることは簡単」「悪を存在させることで安心していないだろうか?」と語ったということで攻撃を受けている。
 わたしは彼女の発言の真意はわからないけれども、それが例えば日本国内での「ロシア総体」へのバッシングへの批判として言われたのならば、わからなくもない。日本に住むロシア人への攻撃だとか、札幌大学で予定されていた「ロシア文学展」中止の流れとかの中で、「プーチン」=「ロシア」=「悪」という思考が成り立っているようにも思える。
 例えばヒトラー指揮下の「ナチス・ドイツ」で、「ドイツ総体」を「悪」と言えるのか。ドイツであれば何でも、過去までさかのぼってしまって、ベートーヴェンもバッハもゲーテも排除するのが正当なのか?
 今の日本の一部では、そういうことがロシアに対して向けられているのではないのか。はたして、プーチンという人物は「ロシア」を代表するような精神の持ち主なのか、そこをしっかりと問うべきではないだろうか(はっきり書いておくが、わたしは河瀨直美氏を擁護するためにこういうことを書いているのではない。「ここに書いたこと」イコール「河瀨直美氏の考えの代弁」ではない)。
 これは、日本という国が、日中戦争~太平洋戦争というものを「総括」していないがゆえの問題で、あれから80年を経て、このウクライナ紛争を経て、また国内に「亡霊」が姿を顕わそうとしているかに見える。