ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『グッド・ボーイズ』(2019) ジーン・スタプニツキー:監督

 疲れをいやすのに、考えないで軽く笑えるような映画を観ようということで選んだ映画。どうのこうのとヤボな感想を書くこともないのだけれども、いちおう。

 この映画を観ようと思った理由は、日記の方にも書いたけれども、以前観た『ルーム』という映画に出ていた子役のジェイコブ・トレンブレイくんが出ていたから。
 この映画の中でも女の子に「あの悲しい目の男の子」と言われていたように、その大きな瞳が独特の表情を見せてくれ、彼の存在が映画『ルーム』のトーンを決定していたように思い、彼の名は心にとどめていた。この前に『ワンダー 君は太陽』という作品にも出演し、そちらもやはり評判になったらしい。
 『ルーム』、『ワンダー 君は太陽』とシリアスな作品がつづいたせいか、この『グッド・ボーイズ』はくだけた、いかにもローティーンらしい(映画での設定は12歳だったようだが)はじけたコメディなのだった。

 マックス(ジェイコブ・トレンブレイ)とソー(ブレイディ・ヌーン)、ルーカス(キース・L・ウィリアムズ)は小6の同級生。3人は「ビーンバッグ」(豆袋?)というグループをつくる仲良し3人組。マックスは同級生のブリクスリーという子が大好き。ソーは歌がうまく、生徒らで上演するミュージカルに誘われている。ルーカスはとつぜんに両親が離婚するということを聞かされる。
 そんなとき、マックスはクラスメートの女の子から「キス・パーティー」に誘われる。ブリクスリーと進展のチャンスと、盟友2人を誘って参加することになるが、そこでもちろんキス未経験の3人は、「キスってどうやるんだ?」という難問にぶっつかる。パソコンでアダルトサイトを見てしまったり、家にあった「ラブドール」で練習しようとしたりして、マックスの父の持っていたドローンを使って、「あのカップルならキスするだろう」とドローン追跡をする。しかし年上の女の子ふたりにバレ、ドローンの争奪戦になり、あげくにドローンは壊れてしまうのだ。
 マックスの父親が帰ってくるまでにドローンを戻さなければならず、3人のコレクションのトレーディングカードを売却して、町向こうのショッピングモールへ、ドローンを買いに行くことにする。

 っつうことで、さまざまな小ネタをはさみつつ、さらにストーリーはつづくのだけれども、基本は「大人の世界」へ背伸びしようとする3人、けっきょくは「大人の世界」のことを何も知らない3人の巻き起こす「お笑い」。
 この映画、主演の3人を含めてローティーンの出演者がいっぱいなんだけれども、公開時に「R指定」され、「出演者らは自分らの出演した作品を、劇場で観ることは出来ない」ということになってしまった。
 まあそういう「下ネタ」満載なのだけれども、基本は3人のガキが「大人のオモチャ」と知らずに自分たちの遊び道具にしてしまう、という「下ネタ」で、劇中のガキたちはそれが「下ネタ」とはわからず、それを映画館でこの作品を観る大人たちが大爆笑するという構造である。
 じっさい、撮影中にも出演するガキたちは小道具の意味がわかっていなくって、例えば「ラブドール」を見たガキたちは、「なんでこの人形はアソコがリアルにつくられてるの?」とスタッフに質問し、スタッフは「コレはね、医学を学ぶ学生のための人形なんだよ!」と答えたとか、映画の延長みたいな楽しい会話が交わされていたようだ。

 でも、そんな他愛もない映画かというとそうでもなく、そういう「一つの目的に向かって3人で結束して行動する」ということは状況が変化してもずっと一貫していて、演出も場面ごとに楽しませてくれ、観ていても清々しい思いになる。そして、映画のラストには3人それぞれがちがう道を歩み始めるというのをみせてくれるのもいい。マックスは将来を決めたブリクスリーと仲良くはなるが、ラストの短かいショットの積み重ねでブリクスリーと別れたことが示され、さらに別の女の子と仲良くなり、その子とも涙とともに別れる描写があり、「ほろ苦い」というか、12歳のリアルさを感じさせられただろうか。ソーはミュージカルの主演の座をゲットしたようだし、ルーカスは学校の「いじめ撲滅隊」の一員となる。
 製作として、出演者の人種構成に気を遣っていることのわかる作品で、ルーカスやブリクスリーはアフリカ系だし、作品の中にはアジア系の人物も多く登場し、「まさにこれが今のアメリカだ」というメッセージも感じ取れるのだった。

 あとで調べて知ったのだけれども、この作品の監督のジーン・スタプニツキーという人物、先に脚本家として活動し、この『グッド・ボーイズ』が初監督作品らしいが、実はウクライナキエフ出身なのだと知った。彼は早くにアメリカに渡ったらしいし、彼がキエフ出身だからと今のロシアのウクライナ侵攻に直結して考えることでもないかもしれないが、ウクライナで今、ロシアに攻撃される市民の中にも、平和であれば世界で活躍できる才能があるのだと、当たり前のことを思うのだった。