「成城だより」は1979年11月から1980年10月までの日記で、「文学界」1980年1月号から12月号まで連載された。「作家の日記」は1957年11月から1958年4月までのもので、「新潮」の1958年1月号から6月号まで連載。「成城だより」の方はこのあとブレイクを入れながら1985年12月まで書き継がれていて、今は文庫本全3冊で刊行されている。
1957年から半年間だけ書きつづけられた「作家の日記」が、どういう経緯で発表されることになったのかよくわからないけれども、こちらの日記では「ゴルフ三昧」な大岡氏の日常が垣間見れるのだが、そんな中で当時、フィリピン派遣遺骨収集船「銀河丸」が大岡氏の駐屯したサンホセにも寄港することを知り、心から同行したいと望むことになる。しかし望みはかなわず、この日記に十ページに及ぶ、死んでいったかつての戦友への呼びかけを書かれている。これはまさに「心の叫び」と言えるもので、ここに大岡昇平氏の心の原点があるのだろうか。読むのがつらかった。
大岡氏と言えば、当時の文壇でも「論争家」として知られていたらしいが、この日記でもその片鱗がうかがえるというか、20年後に書かれた「成城だより」にくらべても、辛辣さが際立っているようには思った。
それでその「成城だより」の方だが、冒頭しばらくは身体の衰えを嘆くような記述がつづくし、以後文壇仲間の訃報に接することも多くなり、年齢的なことを感じさせられもするけれども、だんだんにそういうことを超えて、そのお元気な「精神」を読み進めるのが楽しみとなる。
特に4月にコッポラの『地獄の黙示録』を観てからの「感想」というか「分析」は、ひとつ「文学者の見た映画」への考察として読みごたえがあるものだった。映画から離れ、原作とされるコンラッドの『闇の奥』を思い出し、そのカーツ大佐のさいごの言葉、「地獄だ、地獄だ」というのは原作の原文では「Horror,Horror」だったことから、その「地獄」というのはこの本を岩波文庫での中野好夫の翻訳によるものだと気づく。ついでに、この映画の原題が「Apocalypse Now」なのに邦題が「地獄の黙示録」にされてしまったのは、その『闇の奥』の中野好夫訳に引きずられたのではないのかとも推測する。
大岡氏はいったいなぜ、中野氏はその翻訳で「Horror,Horror」を「地獄だ、地獄だ」としたのかが気になり、中野氏に電話してその事情を確かめようともするのだ。けっきょく中野氏は「覚えていない」との返答だったというが、ひとつの事象をここまで徹底して追及される、大岡氏の姿勢に感銘を受けるのだが、つまりは『富永太郎全集』の編纂をすすめられていた大岡氏にとって、そういうことは「あたりまえ」のことではあったのだろう。
そういう、映画を観に行った話もいくつか書かれているのだが、テレビで淀川長治氏の「おすすめ」にしたがって『エイリアン』を観てしまってガッカリしてしまった、というのに笑った。
社会的な事象、事件についてもいろいろ書かれているのだが、この1980年の8月には「富士山大規模落石事故」「静岡駅前地下街ガス爆発事故」、そして「新宿西口バス放火事件」と、大きな事件が連続して起きていたのだった。そのことを大岡氏もこの「成城だより」に書かれているのだが、わたしはそれらの事件をおぼろげに記憶しているだけだった。しかし「新宿西口バス放火事件」というのは男が停車中のバスの中にガソリンをぶちまけ、火をつけて6人の人が死亡し、14人が重軽傷を負ったという事件で、先日の「京都アニメーション放火事件」を思い出させられる事件なのだった。
