ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『チチカット・フォーリーズ』(1967) ジョン・マーシャル:撮影 フレデリック・ワイズマン:製作・編集・監督

  

 アメリカの「社会的ドキュメンタリー」の巨匠、フレデリック・ワイズマン監督による、彼のドキュメンタリー第一作。
 ここで撮影を担当しているジョン・マーシャルという人は彼自身人類学者であり、カラハリ砂漠のジュホアンシ族を記録した有名な「The Hunters」というドキュメンタリーを製作され、以後も多数のドキュメンタリーを撮られている。彼のドキュメンタリーを観たことはないが、YouTubeには彼の「The Hunters」のとてもみじかいプレヴューがアップされている。
 彼は「エキゾチックにしたり、西洋の物語構造を主題に押し付けたりしない」ドキュメントの製作を目指したといい、それはワイズマン監督の映画の「個人的な経験を詳しく描いたものであり、主題をイデオロギー的に客観的に描いたものではない」という姿勢に通じるものもあるのではないかと思う。
 ジョン・マーシャルはこの『チチカット・フォーリーズ』のあとには「ピッツバーグ警察シリーズ」というドキュメントを何本も撮っていて、フレデリック・ワイズマンジョン・マーシャルから影響を受けた可能性と同じように、ジョン・マーシャルもまた(この『チチカット・フォーリーズ』をワイズマンと共に撮ることによって)フレデリック・ワイズマンの影響を受けたということも考えられる。こういうことはすべて、ジョン・マーシャルの作品をちゃんと観ていない以上は断定できないことだが。

 この『チチカット・フォーリーズ』だが、マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある矯正施設、「ブリッジウォーター州立精神病院」の患者たち(そしてそこの職員たち)を扱った作品である。フレデリック・ワイズマンジョン・マーシャルとは、もう一人のアシスタントとの3人で施設内に入って撮影したのだろう(じっさいは当初、施設の職員がスタッフについてまわって、撮られている内容が「健全かどうか」をその場でチェックしたらしく、現場は混乱したらしい)。おそらくは皆に「カメラ・クルーが皆のあいだを撮影して動き回っても、<カメラなど見えない>がごとくにふるまってほしい」とは言っているのだろうけれども、たいていの場合、登場人物は「カメラなどそこにないもの」として普段のふるまいを見せているようにみえる(ただし、患者のなかにはカメラを凝視する人物もいて、逆にそのことがこの映画にどこか不気味な感覚を与えているのかもしれない)。観ているとどうも、患者たちは何らかの「犯罪」も犯しているようで、そのことからこの「矯正施設」に収容されているのではないか、とも思える。

 『チチカット・フォーリーズ』というタイトルは、映画の冒頭とラストに挿入されている、病院職員たちによる学芸会的な余興ショーのタイトルから取られているようで、「チチカット」というのは、この施設の近くに流れる川の先住民が名付けていた名称らしい。
 冒頭が、そんな職員による「シロウト臭い」歌と踊りから始まり、ラストにもういちどそのシーンに戻り、「そろそろこのショーもおしまい、皆さんお楽しみいただけましたでしょうか?」などというような口上が入るわけで、「じゃあそんな余興ショーにはさまれた本編も、余興ショーを引き継いだ<茶番劇>なのかいな?」などという感想にもなるのだけれども、施設内の患者たちを捉えた本編はとても「健全」と了解できるものではない、めっちゃ「非日常」の、暴力に満ちた世界である。
 作品は患者はもちろんのこと、施設内の看守やソーシャルワーカー、心理学者たちにもカメラを向け、彼らがそこで何をしているか、患者らをどのように扱っているかを、さまざまな側面から撮影、編集されている。
 たいていの患者は看守らによって素裸にされ、多くは「もう汚すんじゃない!」と何もない独房に乱暴に放り込まれる。そこには「人間の尊厳」も何もない。たしかに精神を病んでいると思える患者も登場するけれども、医師に何度も何度も「自分はまったく正常なのに、ここにいつまでも入れられていると本当におかしくなってしまう。早く出してくれ」と訴える患者もいて、彼の言い分は論理的だし、「ほんとうにここに収容しつづけていいのだろうか?」とも思わせられるのだが、医師の判断は「薬品投与」ということなのだ(この時代、「精神疾患」も投薬で治療しようとした時代だったのだ)。また、何日も食事を摂らない患者には無理矢理に鼻からチューブを入れて栄養剤を投入する。このシーンはショックだが、そんなシーンに重ねて、その患者の亡骸のショットもインサートされ、つまり彼がその後亡くなったことが示されている。この矯正施設内のシークエンスのさいごは、彼の葬儀の模様であった。

 この作品は公開直前にマサチューセッツ州によって「患者のプライヴァシーと尊厳を侵害している」として公開差し止めの処置をとり、さまざまな理由でワイズマン自身も告発された。ニューヨーク州裁判所は上映を許可したが、マサチューセッツ州上級裁判所は映画の配給を中止し、すべてのコピーを破棄するよう命じた。
 係争は長引いたが、そのあいだにアメリカの大規模な精神病院のほとんどが規模を縮小されるか閉鎖されるかされ、そのことにこの映画が少なからず影響を与えたともいわれている。
 1991年についに一般公開が許可されたが、州最高裁判所は、「1966年以降、マサチューセッツ州ブリッジウォーター矯正施設で変更と改善が行われたことを映画に簡単に説明しなければならない」と命じた。このことは、映画のいちばんラストに字幕で説明が加えられている。

 ワイズマンの製作スタイルは説明的なナレーションや字幕を挿入せず、BGМも使用しないという、以後の彼のすべての作品に引き継がれる特色を持っているが、それだけに映される画面は「これは<現実>だ」という印象を与えるだろうし、まさに「編集」の力によって、「いったいワイズマン監督は何を撮ったのか」ということが露わになるのではないだろうか。
 特にこの『チチカット・フォーリーズ』は、作品の中にダイレクトに「死」が取り上げられていることからも、ワイズマン監督の作品の中でもインパクトの強い作品なのではないかと思う(「暴力」を取り上げた作品は他にもあるが)。