ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『演劇1』(2012) 想田和弘:製作・撮影・編集・監督

演劇1

演劇1

  • 平田 オリザ
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 フレデリック・ワイズマンの作品の強い影響下に今の「観察映画」を撮り始めた想田和弘監督のことだから、そのワイズマン監督の『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』(1996)もご覧になられていることと思うが、このワイズマン作品と同じく「劇団」を被写体に選んでの作品で、「どこまでワイズマン作品を意識していたのだろうか」ということは気になるところではあった。
 『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』という作品、わたしは過去に観てはいるものの、もう内容をまるで記憶してはいないわけで、この『演劇1』と比較して考えることはできない。ただ、その『コメディ・フランセーズ』を観たときに書いた「感想文」は残っていて、それを読むとぼんやりとはその作品のことを思い出したりもする。
 そうすると『コメディ・フランセーズ』では、ラスト近くに劇団員らが皆で俳優たちの住む高齢者ホームに住まう元劇団員の誕生日を祝いに行くシーンがあって、これはジ~ンとくるシーンだったのだけれども、それはこの『演劇1』のラストで団員の志賀廣太郎氏の還暦の誕生日のお祝いを「サープライズ演出」的にやってしまうことに呼応してしまう、とも思える。ま、そんなに大きな「一致点」というわけでもないけれども。

 『コメディ・フランセーズ』では演出家のことがことさらに取り上げられることもなかったと思うけれども、この『演劇1』においては、取材されていた劇団「青年団」とは演出家/劇作家の平田オリザ氏と同義というか、「青年団」といえば、イコール「平田オリザ」というような通念もある。この作品でもその主題は「平田オリザ氏における<演劇>」と言えるようなところがあると思う。
 この作品は「ひとつの戯曲」を稽古から本番へと仕上げていくようなドキュメンタリーではないけれども、平田オリザ氏作の複数の戯曲の稽古を撮りながら、平田氏の中学生らを相手のワークショップ、戯曲の執筆、劇団のさまざまな面での運営、スタッフとのやりとり、面接のさまなど、さまざまな側面をみせてくれる作品である。けっきょくラストではある作品の岡山公演に向けての現地での舞台設営、そして本番へと、時系列に沿った流れにはなっていたが(このオーラスが「誕生日祝い」)。

 この作品、観ていくと自然と平田オリザ氏の「演劇観」というものが了解されもするわけで、そういうところでこの『演劇1』という作品に欠点があるとするならば、「平田オリザ氏の演劇を知るための<教材>」にもなってしまうところかな?などとは思う。
 作品のなかで平田氏や劇団員らでブレッソンの『バルタザールどこへ行く』を観るというシーンがあり、このあとに「青年団」の演出家(現在は映画監督として活動)の深田晃司氏が、「ブレッソンがどのように俳優のことを考えているか」などということを話すシーンもあるが、ここで話されるブレッソンの俳優観は、平田オリザ氏のものと似通っているのかもしれない。

 「青年団」の拠点である「駒場アゴラ劇場」周辺の風景も映され、ご近所の白ネコも登場する。「青年団」の公演のため岡山に移動したときにもネコが登場するが、おや、このネコは『Peace』に出てきた、あのハートマークのネコではないか。しかし、このときの「青年団」の公演が、想田監督が『精神』や『Peace』の舞台とした岡山だったというのは、偶然にしては出来すぎてる気がするな。
 この岡山公演での劇団員総出での舞台設営、仕込みというのがけっこう「スゴい」なあという印象で、平田オリザ氏の「現代口語演劇」というものの「日常性」を成り立たせるためには「舞台装置」というのは「ホンモノ」同様なリアルさが要求されるわけで、それを半日とかの時間で組み立てるのは、もう本職の大工さん顔負けではないのか。しかもこの岡山公演は1日限りだと言っていたから、また明日になればこの装置はバラして搬出するわけだ。なんだか、本番の芝居とセットになって、こういう搬入搬出、設営もセットになってひとつの「地方公演」だよね、とは思う。
 その設営、仕込みでひとつ「そこまでやるんだ」と感嘆したのは、観客席の通路ぎわの椅子の下についている、上演中でもお客さんの足元を少し明るくするための小さな明かりが黄色で、いわゆる「電球色」なわけだけれども、その明かりのひとつひとつに青いセロファンを貼って行って、明かりの輝度を落とすということをやっているということ。
 いや実はわたしも最近映画館で同じように通路ぎわの席の下についている明かりが、「ちょっと明るすぎて映画を観る邪魔かも」とか思ったりしていたので、そういう「観客目線」で観客席にまで目を配るのは、とってもすばらしいことだと思ったのだ。

 「作品」としてトータルなことは、次の『演劇2』を観たらもっとはっきりするだろうか。