『引き裂かれたカーテン』を撮り終えたヒッチコックは、次回作としてイギリスの殺人犯ネヴィル・ヒースをモデルとした映画を考えていたが、偏執狂で同性愛者の殺人犯が主人公ということで、契約するユニヴァーサルは映画化を拒否した。
1967年いっぱい、ヒッチコックはほとんど自宅に引きこもる生活を送ったが、1968年夏にユニヴァーサルはレオン・ユリスの冷戦時代のスパイ小説のベストセラー、『トパーズ』の映画化を提案し、ヒッチコックはこれを引き受けた(レオン・ユリスという人は、あの『栄光への脱出』の原作者でもあった)。レオン・ユリスの書いた脚本をヒッチコックは気に入らず、『めまい』の脚本家サミュエル・テイラーにこれを依頼した。映画の撮影は脚本完成よりも早くに始められ、撮影2、3日前にシナリオが書き上がるような状態だったらしい。
キャストは原作登場人物の国籍を重視し、多くのフランス人俳優が出演することとなり、主演のアンドレ・デヴェロウ役には当時フランスのスパイ映画で活躍していたチェコスロバキア人のフレデリック・スタフォードが選ばれた。
彼の妻役にはダニー・ロバン、その娘役にはトリュフォーの『夜霧の恋人たち』に出演していたクロード・ジャドが選ばれ、クロード・ジャドの夫にはゴダールの『小さな兵隊』で主演していたミシェル・シュボールが出演した。また。キューバでスパイの任についていたファニタ・デ・コルドバ役でカリン・ドールが出演して映画に花を添えた(彼女はドイツ人だが)。
他にもミシェル・ピコリ、フィリップ・ノワレなどのフランスの名優が「そうか、その役で」という役で出ている。
アメリカ人の役者は『ハリーの災難』に出演していたジョン・フォーサイスぐらいのものだったし、音楽もモーリス・ジャールが担当し、もうほとんど「フランス映画」という感じだった(音楽にはミシェル・ルグラン、ラヴィ・シャンカールなども候補に挙がっていたという)。
撮影はイギリスのジャック・ヒルデヤードという人物が担当したが、この人はデヴィッド・リーンと何本かの作品で組んでいて、『戦場にかける橋』(1957)でアカデミーの撮影賞を受賞している。
ストーリーは1962年の「キューバ危機」に先行した「マーテル事件」又は「サファイア事件」と呼ばれたフランスでのスパイスキャンダルをもとにしており、主人公のアンドレ・デヴェロウ(フレデリック・スタフォード)にも実在のモデルがいる。
まず映画ではいきなりにソヴィエトの高官とその妻、娘とがコペンハーゲンで「亡命」を決行する、けっこうスリリングなシーンから始まる(これも実話をもとにしている)。
亡命したのはソヴィエトのKGBの高官で、彼の情報から、ソヴィエトがキューバに核弾頭を配備している可能性が示される。このときアメリカは、カストロ政権の転覆を画策した「ピッグス湾事件」の失敗でCIAがキューバに接近することが出来ず、キューバへのスパイ活動をフランスのアンドレ・デヴェロウに依頼するのであった。
キューバへ渡ったアンドレは、現地でスパイとして活動している(アンドレの愛人でもある)キューバ人、ファニタ・デ・コルドバ(カリン・ドール)らの協力を得てソヴィエトからミサイルが搬入される様子を撮影したフィルムを入手するのだが、「スパイ行為」が暴かれてファニタは射殺され、アンドレはギリギリのところでフィルムを持ってアメリカへ渡る。
アメリカに着いてみると亡命KGB高官からの新しい情報があり、フランス諜報機関内に「トパーズ」と呼ばれるスパイ組織があるということだった。
フランスの諜報部員として、アンドレはフランスに帰国して諜報活動の内容を報告しなければならないのだが、「トパーズ」の存在がある以上そのような報告を行うわけにはいかない。CIAエージェントのマイケル・ノードストロム(ジョン・フォーサイス)との談合で報告の前に「トパーズ」は誰かを探る計画を立てて、アンドレはフランスへ戻るのであった(現実にはアンドレのモデルになったフランスの諜報員はフランスに帰らず、そのままアメリカへ亡命同然に居残ったらしい)。
いやあもう、わたしはこういう話が大っ好きで、もうゾクゾクしながら観てしまった。「ヒッチコック衰えたり」とはいえ、決めるところはシャキッと決めているし、サスペンスの盛り上げは「さすが」だと思う。
ただ、アンドレのキューバでのスパイ活動と、「トパーズ」の存在を暴くぜ!ということに実はつながりはなく、まさに映画「第一部」と「第二部」ぐらいの乖離はある(まあ本質的な欠点ではないと思うが)。
それとやはり、「トパーズ」は誰か?というのを暴く過程はちょびっと「駆け足」で、ほんとならもっと「大ごと」になっていただろう、そういう「大ごと」を観てみたかった、というのはある。
それに実はアンドレはキューバのスパイのファニタと不倫していて、それでアンドレの夫人であるニコール(ダニー・ロバン)が、「知らず」とはいえその「トパーズ」の大物ジャック・グランヴィル(ミシェル・ピコリ)の不倫相手だったというのは、何というか「狭い世界よなあ」って感じなのか?
しかし、そのファニタがキューバの高官の胸に抱かれて銃で射殺されたとき、ゆっくりと倒れるファニタのまわりを彼女の着ていた紫のドレスが広がっていくシーンは美しかったし(四方からテグスでドレスを引っ張っているのはわかったが)、ラストのフランスでのNATOの会議の前に「トパーズ」の大物がバレるとき、カメラは会議出席者がドアから入って来るのをドア近くで捉え、そのままカメラが後退して会議室全体を写し、参加メンバーらが音声オフで話し合っているところからまたカメラが寄って行ってジャック・グランヴィルに迫り、彼が会議から排除されるところまでの撮影は素晴らしかった。
ちょっとばかり、主演のフレデリック・スタッフォードの演技が弱かった気はしたが、その分、他の出演者たちが出番は少ないなりに熱演を見せてくれていた。やはりカリン・ドールは魅力的だったし、「トパーズ」メンバーだったフィリップ・ノワレを論議で追い詰めるミシェル・シュボールも良かった。短いシーンのクロード・ジャドもダニー・ロバンもよかった。
っつうわけで、世評的には不評らしいこの『トパーズ』だが、わたしには相当に面白い作品、という印象なのだった。