映画の時制は映画が公開された1956年のことなんだろう。タイトルにある「洲崎パラダイス」というのは江東区にあった赤線地帯で、この映画でも象徴的に登場する「洲崎パラダイス」の名の掲げられた大きな門があり、その向こうが「中」の世界というわけで、映画の中でも「中」という言葉が何度も象徴的に使われる。
この映画の本編にはその門の「中」の、つまり「洲崎」の赤線地帯は一度だって登場しないのだけれども、冒頭のスタッフ・キャストのクレジットのバックには、そんな赤線地帯の女たちが客を引いたりしている場面が、見事なワンシーンワンカットで捉えられているのを観ることができる。
ヒロインの蔦江(新珠三千代)は元はそんな洲崎の「中」の世界で女給とかをやっていたらしいが、今は義治(三橋達也)といっしょで、どうやら二人で「足抜け」してきたらしい。もう金がない二人、義治は「これからどうするんだよ」と蔦江に頼りっきりのようで、バスに駆け込んだ蔦江のあとを追った義治はいっしょに「洲崎」の手前まで行ってしまう。「洲崎パラダイス」の門の手前で逡巡する二人。義治は「この門をくぐってしまうと、また昔に戻ってしまうぞ」と言うが。
門のすぐ手前に小さな居酒屋「千春」があり、そこを亭主に逃げられたお徳(轟夕起子)がひとりで切り盛りしていた。蔦江はそんな「千春」を手伝うことにして、義治はお徳の紹介で近くのそば屋「だまされ屋」の出前持ちをやることになる。
男性客をあしらうのに長けた蔦江を嫉妬して、義治は気が気ではないのだが、心配した通りに蔦江は客の成金ラジオ商の落合(河津清三郎)に気に入られ、服を買ってもらったりアパートを探してもらったりする。「だまされ屋」では店員のたま子(芦川いずみ)が何かと義治のことに気をつかったりしているが。
そんなとき、蒸発していたお徳の旦那が「千春」に戻ってきたり。
おそらくは、店の中のシーンも含めて全編がロケ撮影でつくられていて、まずはそのロケ撮影が巧みだし(撮影は高村倉太郎)、撮影当時の風俗の記録としても楽しめる映画だと思う。「洲崎パラダイス」のネオンが印象的な大門もホンモノだし、洲崎神社や洲崎橋らしいスポットも映っている。なお、この洲崎の歓楽街はこの映画から2年後、1958年に「売春禁止法」の実施によって消え去ってしまっているのだ。
音楽は眞鍋理一郎で、何となく1950年代風の、何となく無国籍風な音楽を聴かせてくれて雰囲気が盛り上がる。
映画のラストは、ファーストシーンと同じ橋の欄干に二人が戻り、また「これからどうしよう?」となるのだけれども、冒頭では蔦江に頼りっ切りだった義治も、ここでは「じゃああっちへ行こう」と、生まれ変わったように積極的に動いて、蔦江をリードするのだ(でも、冒頭と同じバスに乗るみたいだけれどもね!)。
監督の川島雄三は、彼自身が小料理屋や居酒屋、バーに入り浸る生活をしていたそうで、そういう雰囲気を撮るのが上手い人。この作品でも居酒屋「小春」やそば屋「だまされ屋」の空気感をうまくとらえていて、楽しめる。「小春」の裏側が「貸しボート屋」になっているのなんか、じっさいにそういうスポットがあったのだろうか?
「川島雄三」の名をWikipediaでみてみると、「日本軽佻派を名乗り、独自の喜劇・風俗映画を中心的に、露悪的で含羞に富み、卑俗にしてハイセンスな人間味溢れる数々の作品を発表した」などと書いてあるが、誰が書いたか知らないけれども、「露悪的で含羞に富み」とか「卑俗にしてハイセンスな」などと、うまいこと書くな、という感じではある。
この『洲崎パラダイス 赤信号』も、まさに「赤信号」の手前で踏みとどまろうとする男女を絶妙の距離感で作品にしている感じで、やはりこれは「名作」だろうと思うのだった。