ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『夜の河』(1956)吉村公三郎:監督

 原作は澤野久雄という人の1952年発表の小説で、これを田中澄江が脚色し、吉村公三郎が監督した。音楽は池野成という人で、この方は伊福部昭に師事された人。『ゴジラ』などの東宝怪獣映画で伊福部昭をアシストされていて、その他この吉村公三郎の作品など、女性を描いた作品の音楽を担当されていた。あとは何といっても、撮影は宮川一夫だということで、この作品、彼の撮影の美しさだけでも観る価値があると思う。ある意味、この作品は山本富士子宮川一夫の映画だといいたいぐらいだ。
 書いたように主演は山本富士子で、この作品は彼女の代表作とみなされている。

 ヒロインの舟木きわ(山本富士子)は京染屋のひとり娘で、自ら「ろうけつ染め」の確かな腕を持っているし、奈良大阪、東京までも自分で営業に出かけるという女性である。
 あるとき、きわが奈良を訪れた際、親子連れにカメラのシャッターを押すことを頼まれる。その父親が偶然、きわの染めたろうけつ染めのネクタイをしていたことから、その父親、大学教授の竹村(上原謙)と知り合う。
 竹村がきわの工房を訪ねて来たり、きわが竹村の研究室を訪ねたり、二人の仲は深まる。
 京の大文字焼きの夜の宴会の席で、しつっこい商売上の懇意の客からようやく逃れたきわは、折よく京都へ来ていた竹村と会い、急に降り出した雨を避けるため、友だちの経営する旅館へ逃げ込む。その夜、二人は結ばれるのであった。
 竹村のことを忘れがたく思っていたきわのところに、京都へ来ていた竹村の娘があらわれ、実は竹村の妻は長く病床に臥せっているのだと聞く。竹村がきわに「もう少しだ、待ってくれ」と言った言葉の意味が分かった気がした。
 しばらくして、竹村から妻の訃報の知らせが届く。きわは葬儀に参列し、そのあとに竹村から結婚を申し込まれる。きわはどうしても竹村の言った「もう少しだ」という言葉が気になり、別れを切り出すのだった。
 そのあと、工房で染物に精を出すきわの姿が見られた。

 まずは、山本富士子という女優さんの美しさ、優雅さにうっとりしてしまう映画だった。目元はすずしく、凛とした美貌の方だ。
 この人はいわゆる西欧的な基準での「美人」というのではなく、そんなことをいえば鼻はちょっと「鷲鼻」だったりするのだが、昔のタイプの「日本美人」というのはこういう人のことを言うのだろうと思った(じっさいこの方は、「ミス日本」の初代グランプリ受賞者だったのだ)。
 しかし例えば同じ大映若尾文子京マチ子に比べて、その知名度が低いのはどうしたことだろうと思ったのだが、この方、1963年に大映との契約更改の際に自分の主張が通らず、「ではフリーになる」と主張して大映永田雅一社長の逆鱗に触れて大映を解雇され、以後いわゆる「五社協定」なるものでいっさいの映画、舞台から締め出されたのだった。このことは国会でも問題にされたというが、以後彼女はテレビの世界に活路を求めて『山本富士子アワー』という番組などに出演、1969年からは舞台にも立つようになった(その彼女の舞台第一作は、この『夜の河』なのだった)。
 つまりだから、彼女の映画出演は1963年までのことで、そのとき彼女は32歳。まさにそれから女優としての「円熟期」を迎えようとする時期だっただろう。残念無念なことである。しかし、しっかりとした自己を持った、芯のしっかりしたお方であられたのだろう。若尾文子よりは2歳年長だが、この山本富士子若尾文子もしっかりご存命であられる。お二方、これからも健康で長寿であられるように祈りたい。

 この監督の吉村公三郎という方、「女性映画の巨匠」とも呼ばれたらしいのだが、たしかにこの作品でも女性の美しさ、なまめかしさを撮るのみならず、その心理の機微をもしっとりと描き出し、「それは見事だね」と思わされるのではある。
 「心理」というのではないが、この作品の中で旅館の部屋で山本富士子上原謙がしっかり抱き合いくちびるを重ね、カメラが移動して山本富士子の履いている白い足袋を映すと画面が切り替わり、その山本富士子が廊下をはだしで歩く足元が映され、観ていると「ああ、そうか」と、何があったのかわかるわけだ。粋ですね。

 さてそれで宮川一夫の撮影。もう映画の最初のショットから、ラストの山本富士子のショットまで、すべて「宮川一夫ここにあり」という感じである。「眼福」とはこのこと。
 それがお得意の京都の街並みだけでなく、奈良も大阪も、東京の街までも撮られているわけだ。もう書き始めると「このシーンがすごい」とか、ほとんどのシーンのことを書かなくっちゃならないとも思ってしまう。このコラムのいちばん上にリンクさせた、ブルーレイのジャケットの写真も、あまりに美しいではないか。
 そんな中でもわたしが特に感銘を受けたシーンを書けば、山本富士子が夜行列車の食堂車に一人座っている場面で、彼女の顔だけが暗いガラス窓に映っていて、その窓の奥に赤い灯りが見えていたシーン。ここは観ていても「うわぁ!」って思ってしまった。
 そして和室の障子窓に、外の枯れ枝の影が映っている場面。ここもついついあまりに美しいもので、映画をとめて写真を撮ってしまった。

     

 あと、問題の旅館で二人が結ばれるシーン。その前に室内に大きな蛾が飛び込んで来ていて、旅館の人が「蛾が外に出るように」と部屋の明かりを落とし、部屋の中は外のネオンからの赤茶色の単色になるのだけれども、これはあとでこの映画のことを調べていたとき読んだのだが、宮川一夫はカラー撮影で赤茶色の発色を良くするため、部屋の壁を全部グレーに塗ってしまったのだという。
 この映画の宮川一夫の撮影に関しては、もういくらでも書いてしまいそうな気になってしまうけれども、またいつか、この映画を観るときの「楽しみ」に、取っておきましょう。