ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『浮草』(1959)小津安二郎:監督

 小津監督は、前年に大映から山本富士子を借りて『彼岸花』を撮った見返りに、大映でこの『浮草』を撮った。同じように、1960年に『秋日和』を撮った際に東宝から原節子司葉子とを借りてきた翌年に、東宝系列の宝塚映画で『小早川家の秋』を撮ったのだということ(こういうことは、アメリカでもヒッチコック監督も同じようなことをやっていた)。
 大映でこの作品を撮ったおかげで、小津映画で京マチ子若尾文子の姿をみることもできるわけだし、何よりもこの映画の撮影は宮川一夫なのである。もちろん、小津作品で宮川一夫が撮影を担当したのはこの一本だけ。

 実はこの作品、1934年の『浮草物語』のセルフリメイクなのだが、この1959年版では、野田高梧小津安二郎に脚本で協力している。
 また、小津監督にとって、『彼岸花』につづいて2本目のカラー映画ではある(宮川一夫は、1955年の『新・平家物語』でカラー撮影は体験済み)。

 やはりわたしなどは、「自分でファインダーを覗いて構図を決め、人物や小道具の位置をミリ単位で決めた」という小津監督の演出法が、宮川一夫の撮影手法とぶっつからなかったのだろうか、などということが心配になるのではあった。
 それで見た感じだけれども、室内シーンはわからないが、とにかくは屋外のシーンの撮影様式は、いつもの宮川一夫氏の撮影のタッチではなかったか、とは思うのだった。
 例えば映画の最初の方の、チンドン屋が集落を巡回して宣伝するシーンの、屋根といっしょに上方ロングから撮影されたショットなど、まさに宮川一夫タッチではないか、とは思うし、そんな集落の中の細い道を捉えたショットなども、宮川氏が決めた構図のように思える。どうだったんだろうか。
 ただこのカラー映画、たいていの場面に小津監督の好きだった「赤」がどこかしらに使われていることが多く(郵便受け、庭のハゲイトウ、こいのぼり、そしてラストの列車のテールランプなどなど)、観ていても場面が変わるたびに「さあ、この場面のどこに赤い色があるでしょう?」なんてクイズやられるみたいだ。

 物語は、志摩半島の突端にあるらしい港町が舞台。いきなり映画のファーストショットが桟橋の先端の白い灯台と、手前に置かれたその灯台と相似形の緑の一升瓶だったりして、もう「やられた!」という感じである。
 その港町に、旅芝居(ドサまわり」)の一座がやってくる。総勢十人ちょっとの一座の座長は嵐駒十郎(中村鴈治郎)。正妻ではないけれども、駒十郎の連れ合いで一座の看板女優がすみ子(京マチ子)で、前に亡くなった座員の娘で今は一座に加わっている加代(若尾文子)ほか、老若の男衆らの一座。
 実は駒十郎には、すみ子にも話していない過去の女お芳(杉村春子)がいて女手ひとつで飲み屋を経営している。二人の息子の清(川口浩)はもう成人して郵便局に勤めている。駒十郎がこの地に来たのは、12年ぶりにお芳と清に会うためでもあって、時間があるとお芳、というよりも清に会いに行くのだ。駒十郎もお芳も、清には実の父は死去し、駒十郎はお芳の兄だと話していて、真実は伏せられている。
 すみ子は駒十郎がしょっちゅう出かけるのを不審に思い、古参の一座のものから「実は‥‥」という話を聞きだす。怒ったすみ子はたくらみをめぐらし、加代に清を誘惑させるのである。
 清はまんまと加代の誘惑に乗ってしまうが、加代もまた清のことが好きになってしまうのだ。加代と清の仲を知った駒十郎は、それがすみ子の差し金だったことを加代から聞き出し、すみ子と大げんかするのだが。
 芝居小屋は不入りになり、座員の一人が一座の金を持ち逃げするなどという事件も起き、ついに駒十郎は一座を解散することにする。そして清と加代は二人で駆け落ちか?ってところで加代が「あたしが相手じゃダメだから、あんたは家に戻りなさい」と言う。
 駒十郎がお芳の店へ行き、清の行方を心配しているところに清と加代が戻ってくる。清と駒十郎がけんかになったところで、お芳が清に、駒十郎が清の父だと告白する。しかし清は「あんたはオレの父じゃない!」と拒否し、「出て行ってくれ」と言う。清と加代はお芳といっしょに暮らすだろう。
 一人になって行く当てのない駒十郎は駅へと行くが、そこの待合いにはすみ子が先に来ていて、つまりは駒十郎とすみ子は「一からやり直そう」と、いっしょに列車に乗るのだった。

 一座の男衆らにとっては、新しい巡業地に行くということは新しい女性らと出会う機会でもあり、そういう男衆の三人が、町の飲み屋とかでそんな話題を繰り返し、芝居小屋の幕の裏でも来た客をのぞき見したりする、滑稽味のある様子がいい味を出していた。

 そしてやはり、ざあざあ雨の降る中で、互いに向かい合った軒下で駒十郎とすみ子とが、相手を罵倒し合う場面が魅力的。カメラは切り返し以外は駒十郎の側、駒十郎の後ろ姿とすみ子を撮っているのだが、駒十郎はそんな言い合いのあいだ、ゆっくりと右へ行ったり左へ行ったりを繰り返す。互いの顔のアップでは、お互いモロにカメラ目線で相手を罵倒するわけで、見ていても唾が飛んできそうだ。

 それと、加代が清を呼び出しての初めての逢瀬のとき、二人それぞれお堂のような屋内の手前から奥へと歩くのだけれども、その途中に影になってしまう場所があり、その「影」が演出の上で印象的に使われていた(しかし、しっかりとキスシーンがあったのにはちょっと驚いたが)。

 誰もいなくなった芝居小屋の廊下には一升瓶が置かれていたし、清と加代がお芳の家に帰るのに、それまでいたテーブルの上にはラムネ瓶が二つ、赤いかき氷の器が二つ置かれていた。

 小津監督の作品には「日本人の感性」みたいなものが描かれていて、海外の人にはわかりにくいのではないか、などと言われることもあるようだけれども、「子を自分のような旅役者にしたくない」と、自分が父親であることを隠そうとする男のことや、そのバガボンド的な生き方、そんな男を愛する女のストーリー(付随するサブストーリーもある)は、海外の人にもストレートに通じるところがあるのではないだろうか。
 アメリカでは1970年に公開されていて、これは『東京物語』が1972年に公開されるのに先行しているし、海外でこの『浮草』こそ史上最高の映画と挙げる批評家も、少なからずいるようだ。