ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『赤線地帯』(1956)溝口健二:監督

 日本では江戸時代からずっと「公娼制度」というものがあり、売春は法に触れることもなかったのだけれども、これが戦後GHQから「公娼制度廃止」を要求され、公娼制度は名目上廃止されたが、地域を特定して風俗営業許可を取った飲食店での売春は容認された。
 東京では吉原、新宿二丁目玉の井、洲崎などで主にカフェーとして売春営業をつづけ、娼婦らは「女給」ということになった。これがいわゆる「赤線地帯」。この映画でも描かれているように、カフェーらしくするために1階にはダンスホールやカウンターを設け、女給はその2階に間借りして住み、そこが営業場所にもなった。女給らは店頭で道行く男に声をかけ、店に誘うのだった。まあそんなところを歩く男らは、そもそも客になる意思を持ってそのあたりを歩いていたわけだろう。
 今でも歌舞伎町とかには売春目的の「立ちんぼ」がいっぱいいるらしいけれども、赤線地帯では女たちのすぐ裏に「店」があって、営業に直結していたわけだ。
 これが1956年に「売春防止法」が成立して、翌1957年4月から施行されたのだった。
 この映画ではラストにいちおう「売春防止法」の成立が見送られたというラジオのニュースが流されるが、この映画の公開されたのは1956年3月18日、これがその年の5月21日には「売春防止法案」は可決しているのだった。
 今でも、非合法にこういう売春の営業をやっているところもあるだろうし、そういう想像もしてしまうのだけれども、この映画での「カフェー」も、いちおうはそのときは「合法」なのであった。

 この作品は溝口健二監督の「遺作」で、久々に溝口監督の本領ともいえる「社会の軋轢に押しつぶされる女性」を描いて好評だったという(キネマ旬報の「ベストテン」にはランクインしてはいないが)。
 脚本はいつもの 依田義賢ではなく、溝口監督とは『噂の女』、『新・平家物語』で組んでいた成澤昌茂で、撮影は宮川一夫で美術は水谷浩。音楽は黛敏郎が担当したのだが、オープニングとかの「ミュージック・ソー(要するにノコギリを弾くような楽器)」を使った音楽は奇妙な印象でもあり、公開当時物議をかもしたらしい。

 物語は吉原の「夢の里」というカフェーを舞台に、そこで売春する5人の女性を中心とした群像劇。彼女らそれぞれに、売春に身をひさぐ事情とドラマがあるわけだ。映画冒頭に東京下町あたりの空撮があり、カメラが回ると浅草観音の屋根が見える。その手前のあたりにカメラが寄って行き、そのあたりがこの映画の舞台の「吉原」なんだろう。
 映画は関西から来たミッキー(京マチ子)が新しく店に入ることから始まるが、あっけらかんとした彼女は稼ぎもいいが、店からの借金も多い。彼女の父親は兵庫の実業家であとで彼女を迎えに来るが、ミッキーは女遊びをして母親を顧みなかった父親を許さずに、今の不良のような生き方を選んでいるのだ。
 やすみ(若尾文子)は親のつくった借金のせいで娼婦になったのだが、客を「堅気になって結婚したい」などとだまして金をせびり、同僚たちにもちゃっかり高利貸しをやっている。だまされたと知った客がやすみを責めるが、「だまされる方が悪い」とつっぱね、殺されかかったりもする。さいごには主人の夜逃げした布団屋を貯金で買い取って、女主人になってしまうが。
 ハナエ(木暮美千代)は病気で働けない夫と幼な子をかかえて一家を支えているのだが、夫は娼婦らを軽蔑しているようでもあり、自殺未遂も起こす。さいごには家賃が払えないで部屋を追い出された夫と子はハナエのところに「行くところがない」とやってくる。ハナエはカフェーのオーナー(新藤英太郎)に金を借りようと言っている。
 より江(町田博子)は普通の主婦になることにあこがれてカフェーを出て田舎に嫁入りするのだが、ただ夫に奴隷のようにこき使われただけで逃げ戻ってくる。
 ゆめ子(三益愛子)は夫と死に別れ、一人息子と同居したいと思っているが、工場に勤め始めた息子に会うと自分が娼婦であることを罵倒され絶縁されて、発狂して病院へ送られる。
 ラストに売春禁止法が成立しなかったというラジオのニュースを聞いたオーナーは、「オレの仕事はおまえらを救済しているのだ」と偽善的な演説をする。
 そして筑豊から下働きで出て来ていたしず子(川上康子)もついに店に出されることになり、化粧をして店の前に出て、皆が男たちを誘うさまを見ながら、柱の影から男に「ねえ、ちょっと‥‥」と声をかけるところで映画は終わる。

 京マチ子若尾文子とのサバサバした演技と、それぞれに悲惨な残り3人との対比が鮮烈で、そこに彼女らを「商売道具」としか見ていないオーナー夫婦がアクセントをつける。ラストのしず子の表情が、ただただ心に残る。

 宮川一夫の撮影は、例えば離れた家の2階から向かいの家の2階の中を撮影するような面白いこともやっているが、やはりこの作品では何といっても、ゆめ子が工場の外で息子と会う長回しの場面こそ、だろう。

 カフェーに幼な子を連れてきたゆめ子が「坊やがこんなに可愛くなったんじゃ、親子心中もできなくなるわね。子供のミルク一つ買えないで、何が文化国家よ!」と語るシーンがあるし、「売春禁止法」はけっこうだけれども、国はその先のことを考えていたのだろうか、などと思うのだった。