この映画のデータを調べると「98分」と書かれているのだけれども、わたしが「Amazon Prime Video」の「KADOKAWA チャンネル」で観たものは、なぜか「91分」なのだった。「消えた7分」のことが気にかかるが。
溝口監督初のカラー作品で、大映と香港との合作。けっこう新しいモノ好きだったという溝口監督、「カラー映画」というものにも大変興味を持っていたといい、日本映画でもかなり早い段階で、このカラー作品を撮ったわけだ。
また、「これからは海外との合作だ」とも語っていたらしく、それがこの映画のようなかたち、香港との合作というかたちで実現したのだろうか。
撮影はここでは宮川一夫ではなく杉山公平だが、宮川一夫はこの次の溝口作品『新・平家物語』で撮影を担当し、彼には初のカラー作品に挑んでいる。
美術はいつもの水谷浩なのだが、舞台は唐の時代の中国のことではあるし、中国の時代考証家の廬世候という人が協力している。
楊貴妃は京マチ子が演じ、玄宗皇帝は森雅之である。
原作は白楽天の『長恨歌』によるらしく、これを香港の脚本家が映画用に書いたものを、川口松太郎、成澤昌茂、依田義賢が共同で書き直したのだという。
『長恨歌』は日本にも早くに伝わっていて、『源氏物語』にも影響を与えているらしい。Wikipediaをみるとそんなに長くはないこの漢詩の全文が読めるのだが、映画で描かれたのは詩の最初の方、楊貴妃の死までが主で、そのあとの仙界に楊貴妃の魂を探り求めて行く下りは大きく省略され、一気に、なお楊貴妃に恋焦がれる玄宗皇帝の死で映画は終わる。
さて、映画は玄宗皇帝の宮殿から始まり、奥行きのある廊下からカメラが移動して反対側にいる玄宗皇帝を映す。ちょっとした長回しで溝口監督らしくもあるのだけれども、「カラー作品なのだから」とばかりの、明るい色彩の「絢爛豪華」と言っていいような美術が、溝口監督の作品らしくもない気がしてしょうがない。京マチ子のメイクにしても「楊貴妃」となってからは京劇の面のようなメイク。おまけに彼女の入浴シーンまであって、これにはビックリではあった!
だいたい、『西鶴一代女』からの溝口作品は、戦(いくさ)や男らの犠牲になってきた女性たちを描いての良さがあったわけで、この作品の前半の、「玉の輿」に乗った女性の話というのは、違うんでないのかと思ってしまう。この前半はその美術と相まって、まるで「シンデレラ」みたいな「おとぎ話」の実写映画化なのか、というテイスト。
これが、楊貴妃と玄宗皇帝が身分を隠して長安の町の「お祭り」に忍んで楽しみ、二人の絆がしかと結ばれるという前半が終わると(ここでも長回しが楽しめるが)、いきなり不穏な影が忍び寄り、一気に「安史の乱」となる。乱が治まるには楊貴妃の死が必要で、やむなく楊貴妃は自ら「死」へと向かう。
この「急転換」はいささか展開が早すぎるというか、もう少しは玄宗皇帝が楊貴妃にうつつを抜かし、国政をおろそかにするというところがないと、周囲の不満というのがわかりにくいし、楊貴妃の「死」への決断も唐突に思える。言ってしまえば、これだけの物語を90分とか100分で収めるのが無理っぽいというか、普通に考えれば150分はゆうにかかる物語ではないかとも思う。いや、そのくらいの時間をかけてじっくりと見せてほしかった。
ただ、この終盤のカラー撮影は、前半と打って変わってぐ~んと良くなる。夜に旗槍を持って集まる兵士らへのライティングや、玉座で身体を傾けて鬱とする玄宗皇帝の姿など、これはレンブラントの絵画を参考にしているのではないか、と推測した。
溝口監督は前年の1954年まで、ヴェネツィア国際映画祭で3年連続して受賞していて、翌1955年にはこの『楊貴妃』をヴェネツィアに出品したという。この作品は何の賞も取れなかったわけだけれども、これが『楊貴妃』ではなくその前の『近松物語』を出品していれば、4年連続の受賞も夢ではなかったのでは、と思える。まあ大映の永田社長とかの意向でもあっただろうからしょ~がないが。
しかし、溝口監督は翌1956年には骨髄性白血病で死去されるわけで、もう時間はない。このあとは『新・平家物語』と『赤線地帯』の2本を撮ったのみとなってしまう。あまりに早すぎる死ではあった。