ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『山椒大夫』(1954)溝口健二:監督

 これまた、昨日観た『雨月物語』につづいて強烈な作品で、この時期の溝口健二監督の充実ぶりときたらタダ事ではない。
 脚本は依田義賢と八尋不二とが共同であたり、撮影は宮川一夫、音楽は早坂文雄と、『雨月物語』から引きつづいたスタッフである。

 原作は森鴎外の短編なのだけれども、そもそもは中世の説経節「さんせう大夫」の翻案で、まずはその説経節から森鴎外が改変した部分があるのだが、そこからさらにこの映画化で変更されたところもある。もとの説経節はたいへんに残酷な描写を含むもので、例えば厨子王を逃がしたあとに捕らえられた安寿は酷い拷問で殺されてしまうし、山椒大夫もさいごには残虐な殺され方をする。この2点を改変したのは森鴎外で、安寿は入水自殺となり、山椒大夫も殺されることはない。ただ森鴎外の小説では、奴隷を解放した山椒大夫はその後益々富み栄えたりする。一方、説経節においても森鴎外の小説においても、ラストに母の玉木は一種の奇跡によって眼が見えるようになるのだが、映画はそういう「奇跡」は排除している。

 ひとつ(脱線して)まず書いておきたいのは、奴隷小屋で働かされる安寿は、新入りの少女がうたう歌がかつて母の玉木のうたっていた歌ということで母の無事を知ることになるし、ラストに佐渡の海辺で玉木と再会した厨子王もまた、玉木のうたう歌に自分らの名前がうたわれていたことで、それが母と知ることになる。
 ‥‥て、これって、フェリーニの『道』で、アンソニー・クインが道端の庭で女性がうたう歌でジュリエッタ・マシーナの消息を知る(彼女はもう亡くなっていたのだが)、というストーリーと重なるように思ってしまう。
 まさかフェリーニは『道』をつくる前にこの『山椒大夫』を観て影響を受けたのか、などと思ってっしまい、調べてみたところ、この『山椒大夫』と『道』とは同じ1954年に公開されているのだった。それで『山椒大夫』はその年のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したわけで、『道』がイタリアで公開されたのは1954年の9月なのだった。そりゃあフェリーニは『道』を撮るときに『山椒大夫』など知る由もなかったことだろう。余計な邪推ではあった。しかし、同じ年の作品だったのか。
 しかし、派生して考えたことを書いておけば、フェリーニといえば彼の作品で主演するのはジュリエッタ・マシーナであったことが多いわけで(実生活でも夫婦だった)、それは「溝口健二といえば田中絹代」、というペアをも想起させられてしまったのだった。まあ「どうでもいいこと」だったけれども、もう一組、そういう「監督と女優」のペアを探すならば、ミケランジェロ・アントニオーニモニカ・ヴィッティのことが思い出される。

 閑話休題。『雨月物語』とこの『山椒大夫』をつづけて観ると、どちらも登場人物らの運命は「舟」で別れてしまうことが気にかかる。『雨月物語』では町へ商いに行く森雅之らと田中絹代とが、田中絹代が舟を降りることでそれが「さいごの別れ」になってしまい、この『山椒大夫』ではまさに舟の上で人買いに襲われ、母と子らは引き裂かれてしまう。
 溝口健二監督にとって、そういう「舟」というのは「運命の転換」の場と認識されているのだろうか。
 思い出してみれば、この『山椒大夫』のあとに公開された溝口監督の『近松物語』でも、まさに香川京子長谷川一夫への思いを転換させる、映画の中でも重要なポイントが「舟の上」ではあったはず。やはり「舟」は重要なのだ。

 この作品でも宮川一夫の撮影が「神々しい」のだが、前半では安寿と厨子王が閉じ込められている、木の柵に囲われた「収容所」周辺の、起伏に富んだ森の中の撮影が美しい。もう、この映画の撮影のために木を切り倒し土を盛り、望みの景色をつくっていたのではないかと思うほど、どの場面もその場面だけでインパクトがある。ひとつわたしが「素晴らしい」と思ったシーンは、厨子王が丘の上から先を眺め、丘を駆け下りて行くシーンで、実はクレーンに乗っていたカメラがそのまま上昇し、丘を下って行く厨子王の姿を捉える場面だ。
 そして誰もが圧倒されるのが、安寿が池に入水する場面の池の手前の竹林、その向こうで安寿が池に足を踏み入れて行き、画面がいちど柵のところで祈る老婆に移るのだが、再び画面が池に変わるとき、すでに水面には波紋が残るだけというシーン、その美しさ。

 ネットの香川京子のインタビューで読んだのだけれども、溝口監督は演技指導などせずにまず役者に演じさせ、ただ「ダメ」なら「ダメ」と言うだけで、そこで「反射しなさい」という有名な発言があるのだけれども、それでいざ「よし」が出て「これで行こう」となると、そこから「どこから撮影しようか」と決めるらしい。つまり「絵コンテ」などないのだ。
 そういう演出のもと、これだけの素晴らしい画像を残された宮川一夫氏は、やはり溝口監督の信頼も厚かったのだろう。溝口監督は「監督とキャメラマンは夫婦みたいなものなんです」とも語っているという。たしかに『雨月物語』でも、演出技術と撮影技術とが一体になっているとしか思えないシーンがいっぱいあったわけだ。
 そういうのでわたしがこの作品で好きなシーンは、佐渡の海が見渡せる海辺の丘の上で、玉木が「安寿~、厨子王~」と呼ぶ場面で、このとき田中絹代の後ろからの風が強く、彼女の髪がほつれ乱れてなびくシーンの美しさ。あれは自然にあのような風が吹くのを待っていたのだろうか、それとも後ろに大きな扇風機をセットしていたのだろうか、などと考えてしまう。

 「海」もこの映画では例えようもなく美しく、その代表的なシーンがラストシーンだろう。玉木がようやくそばに来たのが厨子王だと認め、しかと抱き合うも安寿の死を伝える感動的な長回し(この長回しのあいだもカメラはゆっくりと動きつづけている)のあと、カメラはずっと引いた位置から玉木と厨子王の抱き合う小屋を撮り、そのままゆっくりと左に移動して行き、海岸で海藻を干している漁師の姿、そして入り江の向こうの小さな島をと捉えて止まるその間、そんな長くはない時間のあいだ、この映画のそれまでのストーリーをしかと反駁せずにはいられないのだ。「映画のラスト」というものの、ひとつの理想の姿がここにあるのだろう。