ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『溝口健二の人と芸術』依田義賢:著

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 例えばわたしなどは、「溝口健二の映画作品」といえばまずは『浪華悲歌』、『祇園の姉妹』からはじまるわけで、そこから溝口監督が最後に構想したが撮られなかった『大阪物語』まで、溝口監督のほとんどの作品の脚本を担当したのがこの本の著者の依田義賢氏で、もうわたしの中では溝口作品での「演出=溝口健二・脚本=依田義賢」のゴールデンコンビは不動のものだった(もちろん、溝口健二は映画監督として1922年からの長いキャリアがあり、依田義賢とのコンビが始まるのは1936年からのこと)。
 その依田義賢氏が、溝口氏死後に雑誌『映画芸術』に2年以上にわたって連載したのが、この『溝口健二の人と芸術』。「人」というのは、依田氏と溝口氏との20年の交流をかえりみて、依田氏が描く溝口氏の「人物像」であり、「芸術」というのは、溝口氏の撮った映画作品を、その狙いとした主題、そして依田氏がかかわった脚本などから振り返ったものである。そのあたり、わたしは映像としての映画芸術、その視点からの溝口作品のことを読みたいところはあったのだけれども、それは依田氏の受け持ちではないわけで、そのことは別に、例えばその後期に溝口作品の撮影を担当した、宮川一夫氏のことばとかを聞かねばならないだろう。そかしこれは最後の方に少し書かれているのだが、溝口氏は宮川一夫氏らが現場で撮影プランを練っているときにも話を聞いたりするわけでもなく、カメラルーペを覗くこともせずに勝手にさせていたという。ではいったい、溝口健二のいう「ワンシーン・ワンカット」とは一体何だったのか。例えば『山椒大夫』での香川京子の入水シーンで、手前の笹の葉をすべて墨で黒塗りしたというのは溝口の指示だったのか???などという様々な疑問が噴出してしまう。

 けっきょく、やはりこの本に書かれた「溝口健二」像で印象的なのは、俳優やスタッフに理不尽な要求をパワーハラスメント的に突きつける権威主義者としての溝口健二であり、その「いやがらせ」のようなハラスメントぶりは、読んでいるこちらのはらわたもまた煮えくり返るようで、「もしも自分の目の前にこんなことを言うヤツがいたとしたら、それがたとえ自分の重要な上司だとしても、わたしだったら徹底的に言い返すなりして訣別してしまうよな」とは思うわけで、まあ依田さんはよくぞ20年にわたってこんな男とともに仕事を続けられたものだなあと感心してしまうわけだが、それでもそこには信頼関係と友情とでもいうようなものが根底に流れているわけで、ある部分では溝口氏は依田氏をもっとも信頼し、そのことを語ってもいたらしい。しかし依田氏に面と向かって「君はシナリオライタアじゃありませんぜ」と言ったり、そのときに同座していた時代考証甲斐庄楠音氏に(この方は非常に独特な、ある意味気味悪い絵を描かれた日本画家でもあったのだが)「早く死んだ方がいいんじゃないですか」などと放言したというのは、これはシャレではすまされない暴言だろうと思う。例えば歌人として著名な石川啄木が人間としてはとても尊敬できるような人ではなかったように、この溝口健二もまた、「素晴らしい映画作品」を撮ったとはいえ、人としては単に他人を尊重できない<無礼者>ではあったのだろうか(これはこの本に別刷り折り込まれていた「寄せられた賛辞」の中に、後期のプロデューサーの絲屋寿雄氏が書かれていて、溝口氏が絲屋氏に<今日は言いすぎたので>これから依田氏の家へあやまりに、いや、なぐさめに行こうとおもうが、君一緒につきあってくれませんか」となった顛末が書かれていて「いいね!」という感想になるのだ。)
 そういうことを越えて、この書物で重要なのは、あの『雨月物語』の製作過程を、当時のメモを採録してかなり綿密に書き起こされているあたりで、これはひとつのドキュメントとして貴重なものだと思う。