夜、ニェネントくんがわたしの寝ているふとんの上に来ないのだった。どうやらベッドのある和室ではなく、リヴィングの方にいるみたいだった。「どうしてるんだろう?」と起き出してリヴィングに見に行くと、リヴィングの隅に置いてある座布団の上で丸くなって寝ているのだった。「なんだ、もうふとんの上は飽きちゃったのかな」と思ったが、その座布団が気に入ってるんだったらしょーがない。寝ていてもニェネントくんが来ないのはちょびっと淋しいことだ。これからずっとこういう感じなのだろうか。
能登の地震のあと、「もしもこのあたりで地震のような災害が起きたら」と考えることになり、あらためてわたしの住まいのあたりの避難場所を確認した。わたしの場合は「ニェネントくんといっしょに避難する」ということを前提に考えなくってはならないのだけれども、能登の被災地の避難場所の報道を見ても、ペットの同行のできない避難所が多くって問題になっているようだ。
そのあたり、わたしの住んでいる市ではどこの避難所も、ペットを連れて行けない避難所はないとのことだけれども、ただしペットの居場所は「屋外」になる。屋内で人といっしょに避難できる避難所もあるけれども、ウチからはとても行けない遠いところなのだ。
避難所にペットを連れて行く場合、あたりまえだが、まずはペットの世話は飼い主がやらなくってはいけない。いちばんに考えなくってはならないのは、ペットに入ってもらう「ケージ」を、飼い主が用意しなければならないことだ。う~ん、こういうことは正直、突きつめて考えていなかったなあ。
あんまり大きくて重量もあるケージだと持ち運びも大変だから、金属製でなくって折りたたみのできるものがいいのではないのか。ただ、乱暴なニェネントくんのこと、そんなヤワなケージだと自力でぶち破って外に逃げてしまうのではないか。たまにはケージから出してあげることも考えて、ハーネスも用意すべきか。
食事や水のことは前から考えてあったが、いちばん悩むのはトイレのことだ。トイレを使わずにあちこちで用を足すと、それこそ顰蹙(ひんしゅく)モノだ。
ネコ用のトイレは「大きくって荷物になるなあ」ということだが、いくら「緊急避難用」といってもある程度の大きさは必要だし、やはり現状で使っているものを持って行くのがいいようには思う。
これはもう、「自分のことは何とかなるさ」と考え、避難のときには目いっぱいニェネントくんの荷物だけを持って避難する、と考えておいた方がいいだろう。何といっても、そんな荷物といっしょに、「ニェネントくん本体」を運ばなくっちゃいけないのだから。
こういう話をするとアレだが、今ネットでは「日航機・海保機衝突炎上事故」を受けて、「旅客機でペットを客席に持ち込めるようにするべき」とかいう意見から論争が起きているようだけれども、今このときに、被災地では「ペットといっしょの避難生活が出来ない」人たちがいらっしゃる。
これはもちろん、狭い避難場所の中でイヌやネコといっしょはごめんこうむる、という人たちもまたいらっしゃるわけで、そこに「このコは<家族>だから」とペットを連れ込むことは出来ない。それで今、現にそのことで困っている人たち、イヌやネコたちがいるわけだ。今そんな「ペットを旅客機にいっしょに乗せるかどうか」などと論争してる前に、被災地のペットたち、その飼い主たちを救うために力尽くせることはないのだろうか。この問題、その「ペット旅客機問題」と似通っているところもあるだろう。
わたしも「避難している人たちといっしょのスペースにペットも同居」というのは無理かもしれないと思っているが、例えばまず「ケージ」があれば、人は避難所の中に避難するとしても、ペットたちもその避難所のすぐそばのケージの中で生活し、飼い主さんがすぐに面倒をみてあげられるような環境になるのではないだろうか。
ただ、「ケージ」はペット1頭につき1つのケージが必要になるだろうから予算も必要で、かんたんに解決のつく問題でもないだろうなあ。こういうことをしっかり考えている方々、団体もあるだろうから、その考えを聞きたいな。
ただこの問題、被災地のライフラインさえ復旧せず、現地への交通もままならないという今の状態では、とてもそんなことを騒ぐ段階ではないだろう。まずは被災者の生命が守られ、一日も早く安心できる生活を取り戻されますよう。
先週末から朝のドラマ『ブギウギ』もまた始まったのだけれども、今週になってようやく戦争も終結し、主人公らもライヴ活動を再開することになった。この日は菊地凛子の演じる茨木りつ子がステージで「別れのブルース」を歌ったのだが、2コーラス全曲を歌い、バックの演奏のエンディングまでしっかり聴かせてくれた。茨木りつ子のモデルである淡谷のり子は、実話として戦時中に特攻隊員の前で歌ったことがあったそうで、『ブギウギ』でもその逸話を活かし、歌い終わった菊地凛子の頬には涙がつたっていたのだった。菊地凛子の歌唱もみごとなものだったし、早朝からグッと来てしまった。