ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969) 本多猪四郎:監督


 実は前年の『怪獣総進撃』で東宝はもう「ゴジラ映画」から撤退しようとしていたのだけれども、「子供向けプログラム」の中で公開された『怪獣総進撃』は観客動員数も大きく増加したし、それ以外の東宝作品はどれもヒットしなかった。それで「じゃあもうちょっとゴジラを撮ろう」ということになったらしい。
 この新作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』は、この年から始まった「東宝チャンピオンまつり」の中の一作として公開され、しっかりと「ゴジラ映画」は子供向け、という製作姿勢になった。
 しかもこの作品でのゴジラは、小学生の主人公が空想の中で思い描く「ゴジラ」であって、映画内の現実世界にはゴジラは登場しない、という作品なのだった。この作品でのゴジラは少年の空想で生まれたゴジラだから性格付けも異なるし、登場シーンは過去の作品からの使いまわし場面が多い。そしてミニラは少年と言葉を交わしたりもするのだ。それゆえにだろう、この作品の評判はきわめてよろしくなく、「ゴジラファンに広く嫌われている作品」とも言われているようだ。

 予算は全盛期の三分の一から四分の一に縮小され、製作部門も縮小・解体・リストラされていた。また、円谷英二や前作の特撮監督の有川貞昌大阪万博に関わっていたため、今回は「特撮班」は置かず、基本はすべて本多猪四郎がメガホンを取ったという。

 公害地帯の川崎に住んでいる主人公の一郎は、両親ともに働きに出ている「鍵っこ」で、引っ込み思案ということもあって、同級生たちにいじめられている。
 一郎の楽しみは、同じアパートに住む「おもちゃコンサルタント」という信平(天本英世)のつくったおもちゃで遊ぶこと、ゴジラやミニラのことを空想することだった。そして信平のつくったおもちゃのコンピューターで遊びながら寝てしまい、その夢の中でミニラと出会うのだった。夢の中でゴジラはほかの怪獣らと戦っていたが、ミニラはガバラという怪獣にいじめられているのだった。一郎はそんなミニラと夢の中で話をして、同級生のいじめっ子をガバラと重ねて考えたりする。

 このときあたりには、5千万円を盗んだ2人組強盗が逃げて来て隠れていたのだが、一郎は「自分でコンピューターをつくる」つもりで近くの廃工場に忍び込んで材料を探していて、2人組強盗に出会い、捕まってしまうのだった。
 廃工場の中で監禁された一郎は眠って夢をみて、ガバラに苦戦しているミニラに作戦を与え、ミニラはゴジラの手伝いもあって見事ガバラを倒すのだった。
 強盗らは信平の車を盗んで一郎を連れて行こうとしていたが、「ミニラとゴジラのように勇気を出そう」と思った一郎は機転を利かせて車から逃れ、強盗2人に立ち向かうのだ。そんなとき車を盗まれた信平も車を探してやってきて、すぐに警察に通報するのだった。
 無事に帰宅した一郎は翌日、勇気を出していじめっ子らのリーダーを倒すのだった。

 映画を観始めてすぐ、「しっかりした画面づくりだなあ」との感想を抱く。線路際の道を歩く下校する一郎と同級生の女の子の撮り方がいい。それからも画面構成、編集などみんなとってもいい感じだ。「これが本多猪四郎監督の実力なのだろうな」と、改めて本多監督の演出を楽しむことにする。
 素晴らしいのは、一郎が「廃工場」の廃墟に入り込んでからの、サスペンスっぽい展開のカメラワークとかライティング、編集などで、そもそもわたしは黒沢清監督の「廃墟」でのロケーションが大好きなのだが、そんな黒沢清監督に引けを取らない見事さだと思った。
 夢の中で怪獣たちを見るときも、まずはジャングルの森林に囲まれたすき間から怪獣たちを見て、一郎のいるところが一郎の「現実」と「ファンタジー」とのはざまであることが、視覚的にもはっきりとわかる。
 また、ドラマの設定の中に「公害地帯」とか「かぎっ子」「いじめ問題」とかの社会問題も入っていて、『ゴジラ』での「反戦反核」姿勢につづいて、社会問題を意識した本多監督らしさのあらわれた作品だ、ともいえるのだろう。

 そりゃあ「怪獣映画」としてみたらみ~んな「がっかり」することだろうけれども(わたしだって満足はしないよ)、「夢の世界」で怪獣らから学んだことを「現実世界」に生かすというメインのストーリーはいいものだ。
 そして「怪獣映画」という視点を捨て、「フィルムで撮られた世界」なのだと考えたとき、そのフィルムをいかに「見ごたえ」のあるものにするか、ということこそがどんな映画でも重要なのであって、そういう意味でこの映画、わたしにはとっても素晴らしいものではあった。やはり、本多猪四郎監督という人、有能な監督さんだったのだなあと、あらためて認識する映画ではあった。