『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』の続編。彼らがメキシコに到着して5年が経ち、マネージャーのウラジミールは砂漠に姿を消したがバンドはトップテンに入り、テレビ出演の話も来た。しかし「テキーラ」の魔の手がメンバーを襲い、メンバーの半分は死に、生き残ったものらは犯罪に巻き込まれた。彼らは砂漠へと逃れて演奏を続けたが、観客はガラガラヘビとサソリたちだけだった(以上、映画冒頭のテロップより)。
カウボーイズの連中は髪型こそは以前のままだが、皆長~い口ひげを伸ばし、ポンチョとか着込むようになっている。前作のイゴールは「付き人」役で残っている。
そんなレニングラード・カウボーイズ6人のもとに、署名なしの「ニューヨークでの仕事」のテレックスが舞い込む。彼らはメキシコ国境を突破し、映画ならではのワープ術でコニー・アイランドに到着。依頼のあった「サーフ・ホテル」でライヴだ。
しかし楽器はアコギ1丁にスネアドラムだけ。あとのメンバーはコーラスとタンバリンとかのパーカッション。まったく受けない。
そんなところに、姿を消していたマネージャーのウラジミールがあらわれる。「罪深きウラジミールは砂漠で死んだが、モーゼとして生まれ変わった」とのたまい、「わたしについてくれば故郷に戻してやる」というのだ。
モーゼはメンバーを小さなボートで大西洋に送り出し、なぜか自分は「自由の女神像」の鼻を盗み、旅客機の羽根につかまってヨーロッパへ。
ウラジミール改めモーゼはアメリカの指名手配となり、CIAのジョンソンという男が彼を追う。
モーゼとカウボーイズのメンバーはブルターニュで再会し、そこへソヴィエトの幹部の背広を着たカウボーイズの新しいメンバー6人も現れ、旧メンバーと合体するのだ。
その後彼らは、いつの間にか調達した赤いバスに乗って、ヨーロッパを東へと進む。ジョンソンも彼らを追ってくる。
‥‥てな感じで、その後彼らはフランクフルト、ライプチヒ、ドレスデンとライヴを重ねながら移動する。チェコ、ポーランドと移り進み、いつしかジョンソンも一緒になってロシア国境を越え、彼らの故郷へとたどり着くのである。
書ききれないいろいろなことが起きるのだが、つまりはひとつには旧約聖書の「出エジプト記」のように、モーゼが民を率いて「約束の地」へ至るパロディではある。そしてこの映画の製作の時点ではソヴィエト・ロシアは消滅しているのだが、新しいカウボーイズのメンバーがソヴィエト軍の恰好をしているように、「共産主義」というものも「キリスト教」と対立するかたちで描かれもする(「教義合戦」みたいなこともやる)。
レニングラード・カウボーイズの演奏で今回良かったのは、バンドがインストゥルメンタルで演奏する「カチューシャ」、そして『愛しのタチアナ』でクラウディアを演じていたキルシ・テュッキュライネンが飛び入り参加し、「バビロンの川のほとりで」という曲でその美声を聴かせてくれるのと、CIAのジョンソンがメンバーになって歌う、ノリのいい「ギニ・ワッチ」という曲かな(それと、エンド・クレジットのバックで流れるマリアッチ風の「アイ・アイ・テキーラ」と歌われる曲)。
わたしとしては正直言ってこの作品、脈絡もなく進行するというか、あまりに突拍子もないとも思えたし、ちょっと演出のテンポにもついていけなかった気がする。「なぜそうなるの?」という疑問がいつも浮かび(そんなこと考えてはいけないのだろうが)、わたしの「旧約聖書」や「共産主義」への知識では、解釈のしようもないのだ。