ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『愛しのタチアナ』(1994)アキ・カウリスマキ:脚本・監督

愛しのタチアナ (字幕版)

愛しのタチアナ (字幕版)

  • カティ・オウティネン
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 カウリスマキ監督の作品を順番に観ているけれども、ほんとうは昨日観た『コントラクト・キラー』のあとに、順番でいえば1992年の『ラヴィ・ド・ボエーム』と、1994年にこの『愛しのタチアナ』の前に撮られた『レニングラードカウボーイズ、モーゼに会う』がある。でも『ラヴィ・ド・ボエーム』は無料配信ではなかったし、『レニングラードカウボーイズ、モーゼに会う』は先に観ればよかったんだろうけれども、順番を間違えてしまった。

 カウリスマキ監督の映画はいつも短かいんだけれども、とりわけこの『愛しのタチアナ』は「62分」と、近年のハリウッド映画で考えるとほとんど「短編映画」。そしてこれはモノクロ映画。

 家で母の監視のもと、ミシンで裁縫作業をやっている中年男のヴァルト(マト・ヴァルトネン~この人は『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』で、レニングラードカウボーイズのメンバーで出演されていた)。彼はいささかカフェイン中毒というか、コーヒーばっかり飲んでいる。そのコーヒーが家になくなったことにキレたヴァルトは、母を納戸に閉じ込めて鍵をかけ、母のバッグから金を持ち出して外に出る。途中郵便局で注文してあったらしいコーヒーポットを受け取り、行くのは自動車整備屋のレイノ(マッティ・ペロンパー)のところ。レイノに整備を頼んでいた車(今回はさすがにキャデラックではない)を引き取り、「試運転だ」と言って二人でドライヴに繰り出す。
 車の中でレイノは「ロッカーをバカにする田舎もんの若者をのして歯を折ってやり、裁判になった」という話を長々とする。今までのカウリスマキ映画になく雄弁である。そしてヴァルトが「コーヒー大好き」ならば、レイノは「ウォッカ大好き」で、持ってるウォッカ瓶からいつもラッパ飲みしてるのだ。
 途中バーに立ち寄ると、そこにエストニア人のタチアナ(カティ・オウティネン)とロシア人のクラウディア(キルシ・テュッキュライネン)がいて、「国に帰るのだけれどもバスが止まってしまっているので、港まで送ってほしい」と話しかけてくる。「いいだろう」と4人で出発し、夜になってホテルにチェックイン。部屋はシングル2つにし、ヴァルトとクラウディア、レイノとタチアナとが同室になる。
 男2人はどちらもめっちゃシャイで奥手で、さっきまでの雄弁ぶりはどこへやら。だんまりで彼女らと目も合わせられない。4人でホテルのレストランに夕食に行くが、レストランではバンドが演奏していて、客らはペアで踊り始める。それがヴァルトもレイノも踊りに誘わないので、クラウディアとタチアナが2人でいっしょに踊るのだ。
 そんなしょーもない男たちだが、それでもタチアナはレイノのことを、『パラダイスの夕暮れ』でと同じように「ダサいけど、ほっとしてクセになるタイプ」と思ったのか、レイノに心を通わせるようでもあり、レイノの方も同じ気もちみたい。
 ついに車は港へ着き、女性2人は船に乗る。ヴァルトは「帰ろうか」と言うのだが、レイノは「金、持ってるか?」とヴァルトに聞き、つまり男2人も船に乗り、船の中のカフェでまたいっしょになる。だからといって相変わらず無口でシャイな男たち。このときにレイノがタチアナにタバコをあげ、火をつけてあげるのだけれども、そのあいだずっとタチアナをまともに見ることもない(笑える)。ついに船はタリンに到着(タリンは、『パラダイスの夕暮れ』で船が行き付く先だった)。そこから列車でロシアに帰るクラウディアは、別れ際にヴァルトに紙包みを贈る。
 男2人はタチアナを彼女の家まで送って行く。彼女の家の前でヴァルトはレイノに「さあ、帰ろう」と言うが、レイノはタチアナの目をしっかりと見つめ、「オレは彼女とここに残る。作家になる」と言い、タチアナの頬にキスをし、彼女の家のドアにいっしょに入って行くのであった。
 ひとり残されて帰りの船に乗るヴァルトが、船のカフェでクラウディアにもらった包みを開けてみると、中にはコーヒーポットが入っていた。ちょっとばかし夢想の世界に入ったヴァルトは家に戻り、納戸から母を出してあげ、またミシンで裁縫を始めるのだった。おしまい。

 男2人と女2人が出会ってからは、もうほとんどセリフもないままに映画は進行していくけれども、そこには言葉にならない「想い」が詰め込まれているのだろう。

 わたしがいちばん好きな場面:ホテルのレストランで食事を終えたレイノとタチアナが部屋に戻ってきて、窓からの光にさらされて2人が壁際に立っているとっても美しいシーンから、レイノは一言も口をきかないままベッドに横になってしまう。レイノは指にタバコをはさんだまま眠ってしまうのだけれども、カメラはそのレイノのタバコを指にはさんでいるアップの絵から、タチアナの手が伸びてきてそのタバコを取り上げる。カメラはタバコを持ったタチアナの手があげられて行くのを追って、彼女がそのタバコを吸うまでを捉える。素晴らしい場面だ!
 このあとに、レイノが停まった車に乗っているときに、タチアナが車の前のドラム缶か何かの上にすわっていて、レイノは車から降りてゆっくりとタチアナのすぐとなりに並んですわり、そうするとタチアナはレイノの肩に自分の頭をあずけるのだ。そしてレイノは、自分の手をタチアナの肩にまわす。このシーン(ラヴシーンだ!)も、もちろん素晴らしい。
 もうひとつ、タリンへと向かう船のデッキでたたずむタチアナのそばにレイノが来て、ちょっとカッコつけていろんなポーズをやって見せるシーンもいいな。

 ヴァルトとレイノの共通のアイデンティティーは、「オレたちは田舎もんではない。ロッカーだ!」というものらしいけれども、ラスト近くにヴァルトは「妄想」だろう、女性二人とレイノを車に乗せ、カフェの壁を車でぶち抜き、カウンターにコーヒーを注文するシーンがあった。それも「オレはロッカーだぜ!」という主張だったみたいだけれども、ヴァルトの「こんな風にやってみたかったな」という空想だった。
 そういうのでは、この映画のラストはファーストシーンと同じく、ヴァルトがミシンに向かって裁縫しているシーンだったけれども、考えようによってはこの映画、すべてが「いつも母親に抑圧されていたヴァルトの空想」だったのかもしれない。

 カウリスマキの映画はみ~んな「既成の音楽」が使われているわけだけれども、続けて観ていると、今までの作品でも「The Renegades」というバンドの音楽が多く使われていたようで、この『愛しのタチアナ』でもこのバンドの曲が何曲も使われていたし、カフェのテレビでそのバンドのライヴ映像も流されていた。「フィンランドで人気のあったバンド?」と思って調べてみると、これは1960年にイギリスのバーミンガムで結成されたバンド(ビートルズと同時期だ)で、本国イギリスよりもはるかにフィンランドで人気のあったバンドなのだった(このあと、イタリアでも人気が出たらしいが)。ま、わたしにはこのバンドの何がそんなに良かったのかはよくわからんかったが。

 カチンとかたまった脚本と無駄のない演出、美しいモノクロ撮影(やはりティモ・サルミネン)、そして素晴らしい俳優たちとで、何とも言えない「傑作映画」が目の前にあるのだった。ただ賛美。でも、マッティ・ペロンパーは翌1995年で早逝され、この作品がカウリスマキ作品最後の出演になられたのだった。追悼。