ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『枯れ葉』(2023)アキ・カウリスマキ:脚本・監督

  

 わたしもカウリスマキの作品は好きだからだいたい全部観ていると思うけれども、例によって(このことを毎回書くのも恥ずかしいが)その内容はほとんど記憶していない。今日この映画を観た映画館では、この『枯れ葉』公開を記念して、来週からはカウリスマキ監督の旧作5本を一挙上映するという。「観に来たいなあ」という気もちもあるけれども、実はそれらの作品は皆、ウチでサブスク配信で観ることが出来ちゃうのではある。ウチで観ます。ゴメンナサイ。

 映画は、ヘルシンキの底辺(と言ってもいいんだろうと思う)で働く男女のお話で、こういう作品は過去のカウリスマキ作品でよくあったのではないかと思うけれども、この新作、主演する二人は(こんなことを不用意に言ってはいけないのだが)今までになくキュートな女性とイケメンの男性、だったのではないかと思う。

 物語はある意味すっごい単純で、ある夜知り合った男女がいっしょに映画を観に行って、「また会おうよ」とアンサ(アルマ・ポウスティ)がホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)に電話番号を書いて渡すのだけれども、ホラッパはその電話番号の紙を失くしてしまう。
 連絡を待っていたアンサはデートした映画館の前に行ってみるが、実はその直前までホラッパもそこで待っていた。道にたくさん落ちていたタバコの吸殻を見たアンサは、「彼も来ていたんだ」と思う。
 次回、ようやく二人は再会し、アンサはホラッパを自宅でのディナーに誘う。しかしアンサはホラッパの飲酒癖を心配して口論になり、ホラッパは家を飛び出してしまう。
 けっきょく酒を断ったホラッパは「酒はやめた」とアンサに連絡し、アンサに会いに行こうとするが、交通事故に遭い意識不明になってしまう。そのことをホラッパの友人から知ったアンサは、病院に彼の見舞いに通うようになる。そしてある日ホラッパの意識も戻り、退院したホラッパとアンサは、アンサの犬と共に公園を歩いて行くのだった。

 以上が骨子となるストーリーだけれども、ここにカウリスマキ監督らしいデティールが付加されていて、そここそがこの映画の楽しみだったりするだろう。

 ひとつにはフィンランドの底辺で労働する男女の現実で、さいしょはスーパーの品出しを担当していたアンサは、消費期限の切れた食品を捨てようとして、その場に居たホームレスっぽい男にそんな食品を与える。それをスーパーの社員に見とがめられて問題にされ、同僚のリーサと共にその仕事を辞めてしまう。
 次にアンサはパブの食器洗いの職を得るが、すぐにオーナーが麻薬の密売かなんかで逮捕され、パブは閉じられてしまう。そのあとのアンサは、工場のようなところで荷車を押す肉体労働に従事する(ここでアンサは工場に迷い込んだ犬を引き取り、チャップリンと名をつけて自宅で飼うようになる)。
 ホラッパはもともとの飲酒癖のせいで仕事中にも隠れて酒を飲み、そのせいで解雇されるのだが、これは「自業自得」ではあるだろう。彼は工場や建設業などを渡り歩いている。

 そして、何度も映されるアンサの室内で、ラジオはいつもロシアによるウクライナ攻撃のニュースを流しつづけている。このとき、アンサの室内にかけられたカレンダーは「2024年」のものであり、実はこの映画は2024年を舞台にしたものかもしれないが、そのときにもロシアはウクライナを攻撃しつづけているということなのだろうか?

 ホラッパのさいしょの職場にはフオタリという仲のいい同僚がいて、二人はいっしょにカラオケバーへ行き、そこでホラッパはリーサと一緒に来ていたアンサを見かけることになる。フオタリはけっこう「歌唱力自慢」で(それほどでもないのだが)、そのカラオケでのシンギングでレコード会社からスカウトされるものと思っている。またフオタリはリーサにアタックしていたのだったが、このフオタリとリーサの存在が、いろいろとアンサとホラッパの仲の進展の力になるのだ。友情の力、偉大なり!

 アンサとホラッパとがさいしょのデートで映画館で観る映画は、なんとジャームッシュ監督の『デッド・ドント・ダイ』なのだった。アンサは「こんなに笑った映画は初めて」と言うが、カウリスマキ監督はジャームッシュ監督と親交もあるわけだ。
 その映画館の前にはいろんな古い映画のポスターが貼られていて、「その映画は何だろう?」と興味を持ってしまうのだが、とにかくフィンランド語だからそのタイトルからは何の映画だかはわからない。ただ出演俳優の名前から推測するしかないのだけれども、わたしがわかったのはデヴィッド・リーン監督の『逢びき』、ゴダール監督の『軽蔑』『気狂いピエロ』(これはわかりやすい)などで、あと、アラン・ドロンの映画が何本かあった。一本は『仁義』じゃないかと思ったが。
 そんな映画のポスターと同じく、使われる古いヒットソングらしい音楽もまた、ノスタルジックな感慨を生み出している(わたしは「マンボ・イタリアーノ」と、いくつかのクラシック、そしてラストに流れた「枯葉」以外はどれも知らない曲だったが)。

 それから、アンサは赤い服を着ていることも多く、彼女の部屋はうす緑色の壁で、どこかに赤いものがおかれていたりする。これはカウリスマキ監督の小津安二郎へのオマージュらしく、「赤いやかん」も探していたと、何かで読んだ。
 一方のホラッパは青色が多く、作業着もうす青、病室の壁もうす青と、ホラッパのカラーは「青」のようだ。
 カウリスマキの演出はドラマチックな展開などなく、俳優らは言ってみれば「棒立ち」のまま、セリフ回しも「棒読み」。そういうのがひとつのスタイルとなっていて、なぜか観ていて「ほっこり」とした気分にさせられる。それこそが「カウリスマキ映画」の魅力なわけだけれども、やはりラストの、青空の下、むこうへ進んで行くアンサとホラッパ、そして犬のチャップリンの姿をみると、「この映画を観てよかった」と思わずにはいられないのだった。