ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-02-11(Sun)

 早朝というか夜中に、ニェネントくんの鼻息がわたしの顔にかかって目が覚めた。ニェネントくんはわたしの顔の横をちょうど通り過ぎて行くところで、特にわたしの上に乗っかるというようなこともしないで行ってしまった。でも、鼻息がかかったというのは、寝ているわたしの横を通るときに、わたしの顔に鼻先を近づけたということだろう。「わたしが死んでないかどうか」、様子を見たのだろうか。死んでねえよ!

 昨日は土曜日で、朝はピーター・バラカンの「ウィークエンドサンシャイン」を聴いたのだけれども、すっごい久しぶりにローリー・アンダーソンの「O Superman」を全曲聴いた。これは彼女がグラミーの特別功労賞を受賞したからなのだけれども、わたしはこの「O Superman」、シングル盤も持っていたし、この曲が留守電に関する曲だったことから、自宅の留守電のBGMをこの曲のイントロにしたりもしていたのだった。
 それでちょっと思ったこと。この日、視聴者からのメールが読まれて、その方は『PERFECT DAYS』をご覧になられたというのだが、「年収も低そうな主人公が自分よりも幸せそうな生活だったことに驚いた」そうで、「きっと彼は昼食はコンビニのサンドイッチ、夕食は外食で休日には飲みに行くのだろう」みたいなことだった。
 わたしがちょっとびっくりしたのは、こうやって人の「収入の高さ」は「幸福」と比例関係にあるだろう、というような考え方のことで、まあそういう考えの人が多いことはわかるが、こういう「ウィークエンドサンシャイン」のようなラジオ番組を聴いていても、そんな考えを持っていらっしゃるのか、という「意外さ」。そして「昼食はコンビニのサンドイッチで夕食は外食」という、つまらなさ。わたしにはそれは「不幸」の言い換えのように思えてしまう(それはわたしの狭い考えゆえだろうが)。
 外食は外食で楽しいところもあるのだろうが、わたしは(自分がやってるからというわけではないが)「自炊」の方が楽しくって、幸福感を感じるな。っつうか、この人はカウリスマキの映画なんか観て、どう思うのだろうか。カウリスマキ作品を観ても「みじめだね~、幸福には程遠いね」とか思うのだろうか。
 ちょうどこの日のニュースで、そのカウリスマキの『枯れ葉』が、彼の日本での最大のヒット映画になったということだった。配給会社ではそのことを祝して、映画に出演していたイヌの「チャップリン」のステッカーを観客にサーヴィスするとかいう。
 ウチのとなりの駅の映画館もまだ『枯れ葉』は上映しているし、もう一回観に行こうかな、などと思う。

 今日はまた「雪」になるかもしれない、などとも言われていたがそんなことにはならず、青空の拡がった天気になった。午前中に北のスーパーに買い物に出たが、まだ日陰にはすこ~しの雪が残っていた。

     

 スーパーではめっちゃ安い紅茶パックを買ってしまったが、いくらわたしが「やかんに紅茶パックをぶち込んで煮出す」という乱暴な紅茶の淹れ方でも、マズい紅茶はやはりマズい。「貧乏」イコール「不幸せ」ではないように、「安い」イコール「マズい」というわけではないが、はたしてどうだろうか。
 この日は多少は「外食気分」で、スーパーでポテトコロッケを買い、夕食にそのポテトコロッケとキャベツの千切りサラダ、トマトとブロッコリーという、ちょっと「ヴィーガン」な食事になった。キャベツの量が多すぎて、食後に「う~、今日は食べ過ぎた」と「食べすぎ気分」におそわれたが(昼食は豚レバーともやしの炒め物と、「ヴィーガン」ではない)。

 夕方から何か映画を観ようと思ったのだが、この日はあまり観たいという映画が思いつかなかった。フランシス・マクドーマンドの主演した『ノマドランド』を観ようとしたのだが、なぜか字幕がついていなかった。「日本語字幕付き」もしくは「吹き替え版」もあったけれども、そっちは有料。あきらめた。この映画はむかし映画館で観た記憶があるが、その内容は盛山文科相と同じように、「記憶にない」のではある。
 それでこの日は、『午前2時の勇気』などという映画を観た。1時間8分という短かさが気に入ったのだ。監督はアンソニー・マンなのだった。