ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『浮き雲』(1996)アキ・カウリスマキ:脚本・監督

浮き雲 (字幕版)

浮き雲 (字幕版)

  • カティ・オウティネン
Amazon

 この作品から『過去のない男』、そして『街のあかり』との3本で「フィンランド三部作」なのだそうで、それでじっさいのところ、「Amazon Prime Video」でその3本を観てしまうと、無料で観ることのできるカウリスマキ作品はおしまいになってしまう。それは寂しいな。あと『ラヴィ・ド・ボエーム』『希望のかなた』は有料だけれども観ることができる。やはり今はできるだけカウリスマキ監督の映画を観たい気分だし、有料でも観ようかなと思う。

 夫婦で共働きのイロナ(カティ・オウティネン)とラウリ(カリ・ヴァーナネン)。イロナは「ドゥブロヴニク」というレストランで給仕長として店を仕切り、ラウリは市電(トラム)の運転手。仕事を終えたイロナは、ラウリの運転するトラムに乗っていっしょに家に帰る日々。家のローンは残っているけれども、ついにカラーテレビをローンで買ったり、ささやかな幸福の日々を送っていた。
 しかし不況の影響でラウリは人員整理の対象となって解雇。しばらくしてこんどはイロナもまた、勤めるレストランが買収されて廃業。従業員皆が失職してしまう。
 仕事を探す夫婦だが、すでに中年である2人は職探しに苦労する。ロシアへの定期長距離バスの運転手の職が得られそうなラウリだったが、就職前の健康検査で片耳の難聴が見つかり、就職どころか免許証も取り上げられてしまうのだった。
 イロナは苦労して場末の安食堂の皿洗い(兼コック兼給仕)の職にありつき、しばらく働くのだったが、店は経営者の脱税の取り調べを受け、イロナはそれまでの給料も受け取らないままに辞めさせられてしまう。ラウリがイロナの給料の支払いを求めてその経営者のところへ行くが、ボコボコに殴られて港の桟橋に放り出される。家財も差し押さえられてしまった夫婦だが、ラウリは友人の提案でレストランの開業を考えることになる。資金を銀行に借りようとしたが、貸してくれる銀行もない。
 ラウリは「では」と車を売り払った金でカジノへ行くが、(あたりまえだが)全額スってしまうのだ。
 しかし「捨てる神あれば拾う神あり」。美容院で働こうと面接に行ったイロナは、そこで前の職場「ドゥブロヴニク」の元支配人スヨホルム夫人(エリナ・サロ)に偶然に出会う。久しぶりの再会に二人してお茶をして、「イロナがレストランを開くなら出資する」と語るのだった。
 イロナとラウリとで前の「ドゥブロヴニク」の従業員らを皆探し出し、新しいレストラン「ワーク」を開店するのであった。

 カウリスマキ監督は当然、この作品でもいつものマッティ・ペロンパーを起用するつもりだったらしいが、彼は前の年の1995年に心臓発作で急逝されていた。映画のラストに「この作品をマッティ・ペロンパーに捧ぐ」との字幕が出る。
 そのラストの出演者のテロップにマッティ・ペロンパーの名前もあって、「あれ?」と思ったのだが、実は彼の写真が映画の中で登場していたとのこと。「それじゃ、あの写真が?」と思ったのは、イロナとラウリの家の居間に飾られていた小さな男の子の写真で、映画の流れでみれば、「夫婦の間に生まれていたけれども亡くなってしまった子どもの写真」というところだったが、あの子どもの写真がマッティ・ペロンパーだったのか。

 マッティ・ペロンパーはいなくっても、いつものカウリスマキの映画のように出演者らはほとんど喜怒哀楽をあらわさず低体温の演技、演出なのだけれども、それでも脇役の人らは(特に前半で)いつもよりは感情表現をしていたようにも思え、わたしには「今までのカウリスマキと違うなあ」という印象もあった。
 しかし、赤い服を着たカティ・オウティネンの、周囲との色彩の対比なども見事だったし、ティモ・サルミネンの撮影を堪能出来た。
 元支配人役で出演していたエリナ・サロは先に『マッチ工場の少女』でカティ・オウティネンの母親を演じ、『愛しのタチアナ』でも、ホテルの受付を演じていた人(このあとのカウリスマキ作品にも出演しているようだ)。フィンランドでは芸術文化勲章を受賞された方だそうな。

 この作品で描かれる「フィンランドの不況ぶり」だけれども、これはじっさいにフィンランドはソヴィエト・ロシアの解体の余波を受け、この時代に相当の不況の中にあったのだという。

 ちょっと個人的なことを書くと、この映画でのラウリの解雇の経過など、わたし自身の解雇と共通するところもあるようで、「わが事のように」観たところもあって(わたしはギャンブルはやらんが)、「この二人、どうやってこの苦境から抜け出せるのだろうか?(あるいは最後まで抜け出せない?)」と思って観ていたのだが、けっきょく「空から降ってきたような」幸運に見舞われたわけで、わたしはいくらこの映画のラストの二人のように、ワンコの代わりにニェネントくんを抱いて空を見上げても、そ~んな幸運はちぃっとも降って来そうにはないのだった。悲しい。