ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-01-25(Thu)

 夜中に夢をみていちど目が覚め、こうやって日記を書いているときもその夢のことを憶えているのだった。
 その夢でわたしは、中年のちょっと太めの女性から、わたしが貸していたらしいお金を返してもらう。全部千円札で9000円。ここんところは、夕方観た映画『愛しのタチアナ』からの反映なんじゃないかと思う。
 そのあとの夢とのつながりはよくわかんないのだけれども(どうやら、まったく無関係のようだ)、次にわたしは電車に乗っている。ドアにいちばん近いところの座席に座っているのだけれども、電車はまあまあ混んでいて座席は全部埋まっていて、立っている人もいくらかいる。わたしのとなりにはけっこう大きな犬を連れている人が二人並んで座っていて、犬も座席に座っている。「わたし」「犬」「飼い主」「犬」「飼い主」の順に並んでいるのだが、その飼い主同士が会話していて、電車の進行方向を見て「あれはジョン(犬)じゃないか」と言っている。
 わたしもその方向を見ると、そこには人間ぐらいの大きさの犬がいた。犬といっても、人が中に入った「着ぐるみ」かもしれない。「ジョン(犬)」というのは、現実に存在する犬の着ぐるみを着てオルガンを弾きながら唄うミュージシャン(女性)で、わたしがイヴェントを主宰していたころから活動していて、わたしもそのライヴを見たことがある。最近、今でも彼女は活動していることを知ったばかりだった。
 その「大きな犬」の飼い主は座席に座っていて、「ジョン(犬)」はその座席の前に座っていた。
 何かわたしのとなりの犬の飼い主同士が「ジョン(犬)」の悪口めいたことを言ったようで、それが「ジョン(犬)」とその飼い主に聞こえてしまったようで、「ジョン(犬)」と飼い主が座席を離れて、こっちの方にやって来るのだった。となりの犬の飼い主らは「ヤバい!」と言ってわたしと反対側に座席をつめて移動し、わたしのとなりに人ひとり分ぐらいの空席ができた。
 わたしは、その席に「ジョン(犬)」が来るのかなあと思って空いた座席を見つめているが、そのときさっきまでわたしのとなりにいた本物の犬の背中が目にはいる。黒とグレーのまだら模様になっていて、わたしは「アザラシの背中みたいだなあ」と思うのだった。
 ここで夢の記憶は途絶えていて、夢はもっと続いたのか、それともそこで終わってしまったのかはわからない。このあと「ジョン(犬)」はわたしのとなりに座ったのだろうか?
 とにかくは、わたしらしくもなく「健康な夢」ではなかったかと思う。「犬」が出てきたということで、この夢の後半もまた、カウリスマキの映画の影響があるのかもしれないし、最近あれこれと議論になっている「公共交通機関(主に飛行機)へのペットの持ち込み」という問題も反映されていたのかもしれない。

 郵便受けに「となり駅のホテル客室清掃スタッフ募集」という、カラー版のチラシが投げ込まれていた。
 実はわたしはおおむかし、若い頃にそういう「ホテル客室の清掃」というアルバイトをしていたことがある。だから今でもベッドにシーツをかぶせて「ベッドメイキング」をやるやり方をおぼろげながら記憶している。
 「わたしもそろそろ、いいかげん仕事を始めなくっちゃいけないな」とは思う。その募集チラシは労働時間も5時間でわたしにはちょうどいいな、などとは思ったが、こんなカラー印刷の募集チラシを各戸に配ってるんならもう決定してるだろうと思うし、わたしにはいろいろハンディもある。何より今はわたしは「歯医者に行かなくっては」という課題に向き合っているので、今すぐに働く気がなかったりする。まずは歯をメンテナンスして、そうしたら本格的に仕事を探そうかと思う。

 ニェネントくんの眼は、この日は眼のそばの傷にもかさぶたが出来た感じで、眼自体には異常があるようには見えなくなった。動物病院へ行っても、どんな処方を受けるかも想像がつくことだし、今は「わが家で養生しよう」と思う。

 この日は今年さいしょの「満月」の夜だった。雲ひとつないめっちゃいい天気だったので、月もよく見えた。1月の満月は「ウルフ・ムーン」。

     

 夕方にまたカウリスマキ監督の映画、『愛しのタチアナ』を観た。「船に乗って、新しい生活をめざす」という、カウリスマキ監督の作品のヴァリエーションというか、これはこれで「ひとつの夢」なのだろう。これは大好きな作品。